さぁ今回もやりますよ
日本史が苦手な方、必見です

《風雲》
嘉永六年(1853年)、江戸湾の浦賀沖にマシュー・ペリー提督率いるアメリカ海軍東インド艦隊(黒船)が、フィルモア大統領の親書を携えて来航し、執拗に開国と和親条約締結を迫りました。
長い間鎖国政策をとり、外国との交渉を断ってきた日本(徳川幕府)は浮き足立ち、世論には攘夷(外国[人]との付き合いは排除しようという考え)の熱が沸き上がってきます。
ちなみにこの年から徳川幕府が終焉を迎えて新しい時代に入る1868年までを「幕末」と呼びます。
黒船のあまりの大きさと大砲(空砲)の轟音に人々は怯え、幕府も答えを出せず、アメリカとの交渉はただいたずらに長引いていました。
そんな中、幕府大老・井伊直弼が、「攘夷派」である朝廷の意向を無視し、独断で新将軍を擁立し、アメリカと修好通商条約を締結してしまったのです。
この振る舞いには攘夷に燃える諸藩の「志士(この時代に流行った言葉で、[自分や自藩はともかく、国の行く末を憂いて行動する人]って感じの意味です)」達が黙っていませんでした。
安政五年(1858年)、かくして大老・井伊直弼は、水戸藩の「志士」たちの手にかかり、江戸城桜田門外で非業の死を遂げます。
※井伊直弼は後に「安政の大獄」と呼ばれる、開国論者や尊皇攘夷派を取り締まる政策を強化していたので、かなり恨みを買っていたようです。
井伊家というのは徳川家康以来の譜代大名であり、彦根藩35万石を擁する大大名です。このような大殿様を名も無き浪士たちが斬殺するなど、江戸幕府始まって以来初めてのことでした。
この事件は世の中に大きな衝撃を与えます。
大老の暗殺、幕府の弱体化、外国の脅威、弱腰外交、これらが白日の下にさらされ、世の中に暗雲が垂れこめました。
勤王、左幕、尊皇攘夷、倒幕、開国、各派入り乱れ、日本は戦乱と暗殺の時代に入っていくのです。
そしてこの不穏な世の中を華やかに彩るべく、僕が大好きな幕末の志士たちが、江戸で、京で、土佐、長州、薩摩で、次々に登場してきます

なんだか『レッドクリフ』攻略法の初回と似た感じになっちゃいました

『新・幕末純情伝』
お楽しみに(^O^)