佳葉の文学
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あるサイトの友へ

簡単に言えば、中途半端な読者と言う意味ですね。

まあ、それは、大半がそうでしょうね。
大体、本を読む事には、それ自体には
大した意味がある訳ではありません。

我々は、生きる事が第一でして、
趣味は、お飾りでしかないのです。
文学もその一つでしょう。

ところで、長くインフォ・シークもやってきましたが
ちかじか辞める予定です。
荒しにあって、辞めろ辞めろと、書いて寄越して
来ましたが、現在は痕跡がないですね。
多分、忘れてしまったのだろう。(爆

ヤフーのブログに移行します。
松尾佳葉、で検索すれば、分かると思います。

では、長い間、ありがとう、御座いました。
お元気で。
           松尾佳葉

憂国の士、坂本竜馬の決断

憂国の士、坂本竜馬の決断

鳥取砂丘ってご存知ですか?

明治維新前の江戸時代の話です。

皆さん、かの文豪の森鴎外って勿論ご存知ですね。

彼には父親がいたんですが(これも当たり前で
すね)

この父親が藩のお偉いさんだったそうです。

なんでも、我が藩にも大きな港が必要だと藩の

殿様を説得して、

港湾建設がはじまったんですね。

そして、多くの砂が必要だったので、

近在や隣の藩まで協力をお願いして、大変な砂

を鳥取まで、運んだそうです。

この話しを、何処からか聞きつけた、あの坂本

竜馬が、その工事、待ったと、

藩に圧力を掛けたんですよ。

彼、海援隊を組織して、海運には、力(ちか

ら)を持っていましたので、藩の殿様も、

止む無く工事を中止しました。

しかし、大量な砂は、今更、返す訳にもいきません。

しかも、歴史は大きな動きを見せていましたの

で、大きな問題では無かったのです。


そして時代は変り、その大量の砂は、鳥取砂丘

として産まれ変りました。

私達は坂本竜馬に感謝しなくては

いけませんね。港は出来ませんでしたが、

あの大量な砂がなければ、現在の鳥取砂丘は存

在しなかったのですから、

何が幸いするか分からないですね。







筆者より、これは与太話です。