こんにちは。ゆっかです。
今回は、自宅ジム計画発足当初、トレーニング業界がコロナの波に飲み込まれようとしていた頃のお話です。
私が自宅ジム計画を知ったのは今年の3月半ば。
この頃は国内でのコロナ感染者はまだ比較的少なく、よしさんの通うジムは営業していました。
当初の自宅ジム計画では、ある程度建物と内装が完成してからトレーニング器具(バーベルと重り)を発注する予定でした。
ジムの完成までは、これまで通り市営・大学のジムを利用すればいい。
それで何の問題もありません。
その後いくら感染者が増えても、なかなか身近な問題に感じられず、どこかのほほんとしている自分がいました。それはよしさんも同じだったようです。
自宅ジム計画変更のきっかけは、志村けんさんの訃報です。
幼い頃からTVで観てきた身近な存在がいなくなってしまったことで、
コロナの脅威が現実味を帯びてきました。
訃報が入ったその日に、よしさんはトレーニング器具を発注しました。
置き場所は、何とかなる。中身がいっぱい詰まった大きな物置や蔵があるのだから、頑張って片づければ何とかなる。
ちょっと前まで、「こんなに高い買い物したことない」と怖気付いていたのに、この時は「ええい、何とでもなれー!」とばかりに勢いよく発注していました。
緊急事態宣言が発令された前後から、市営のジム、大学のジムと順に休業となり、多くのトレーニーがそうであったように、よしさんもトレーニングができなくなってしまいました。
はじめは2週間程度休業で済むだろうと思っていましたが、ジムの再開は1週間延期、また1週間延期、といつ使えるかわからない状況に。
再開したとしても、不特定多数の人が集まり密になりかねないジムに、できることなら行きたくありません。
「発注しといてよかった」「どうせするならもっと早くすればよかった」
この時点になってようやくそう思えたのでした。