ずっと、ずっと嫌だった言葉があります。
その話を聞くたびに、胸の奥がザワザワして
嫌な気持ちになるんです。
それは
「子供はお母さんを幸せにするために生まれてきた」
という話。
僕は幼い頃、学校に馴染めず脱走したり
不登校になったりして
母親には数えきれないほどの迷惑をかけてきました。
だから、ずっと思っていたんです。
「自分は、母親に苦労ばかりかけるダメなやつだ」
「自分は、母親を不幸にしてしまった」
僕は、その「罪悪感」を抱えて生きてきました。
だからこそ、あえて言いたい。
「子供は親を幸せにするために生まれてきた」
なんて、親にとって都合のいい
責任の放棄ではないかって。
生後8ヶ月のベビタムが生まれてから
僕は毎日考えています。
「この子が幸せに人生を送るには、どうしたらいいのか?」
僕が出した結論は最大限の
「安心感」
をプレゼントすること。
「存在するだけで、愛されている。」
「失敗しても、あなたは素晴らしい。」
「すべてが愛おしい。」
ベビタムの存在自体を、丸ごと抱きしめる。
そう決めたんです。
「ママでもキラキラ」
「ママでも自由なライフスタイル」
そんなキラキラした言葉なんて、どうでもいい。
子供が10歳になるまでは
自分の人生の輝きなんて後回しでいいから
「子供ファースト」
で、ただ陰で見守る。
次世代の宝が輝くために
自分を磨き土台となる。
それが「親の役割」であり
真の幸せなんじゃないかと思うんです。
「子供」が「親」を幸せにするのではありません。
「親」が「子供」を幸せにするんです。
「子供が親を幸せにしてくれる」
という言葉に逃げて目の前の我が子を
一人の人間として愛しきれなかった自分に気づいてほしい。
僕がこうやって「親の役割」を自覚できたこと。
それが、ベビタムが僕を幸せにしてくれた瞬間だったのかもしれません。
でも、役割の順番は間違えちゃいけない。
まずは、僕たちが子供に、圧倒的な安心感を。
