初めて世話をしていた牛たちも、手放すことになっていった。残酷ではあるが、牛の値段と強さは比例する。素質のある牛を手入れして、その上で勝負に負けるなら、その牛主が相手を見る目がないのであろう。そう私は叔父と共にお互いを自虐していた。私が世話をしていた牛も最後は最低レベルで売りに出した。余談であるが、そのお金で私は自動車免許を取得した。
残念なことに、最後の見送りに立ち会うことも出来ず、夕方牛小屋に着くと、からっぽの部屋があるだけであった。
そのとき私は、勝ち負けで人生が決まるこの闘牛牛たちに対して、誠心誠意自分の出来ることを尽くしたであろうかと、深く自問した。当時、離島の田舎の高校生であっても、友人や恋人との交際に忙しい友達は多かったし、片手間で手伝いをしてるだけの友人も幾人はいたであろう。
人間より切迫した、究極的に命のやり取りをしている牛達への畏敬と、失敗しても何度でもやり直しができる人間の素晴らしさを、当時の私は感じたと思う。
故郷から年々と距離が離れているが、折に触れてこの事を思い出す。どうせ失敗しても死にはしない。しかし、やるからには本気でやる。よく他 人からそんなに行き急いでどうするのかと聞かれることがある。その根元はここにあるのではないかと私は思う。