ずっと休んでいたが、久々に書く。

参議院選挙がいよいよ近づいてきた。


年金が争点という事が言われているが、どうもおかしな話だ。


そもそも、与野党間に、年金問題について、そうはっきりした「争点」があるのか?


民主党が、消えた年金問題を暴き、そして、政府与党を攻めたて、必死で「争点化」しようとしているようにしかみえない。長妻議員のおけげでこの問題が世に知られたことについては評価する。


しかし、どうも議論がおかしい。

確かに、時の政府、時の権力の側に責任はあるから、政府与党も必死で、国民の将来不安を払拭しようとする。


そして、野党(特に民主党)は、ぜんぜん、そんなものではダメだと政府を攻める。しかし、これは果たして「争点」を巡っての議論なのだろうか?


先ほど、NHKの各党の政治決戦へのぞむ裏舞台を取材した番組をみたが、野党とりわけ民主党は敵の失点をついているだけにしかみえなかった。まだ、共産党と社民党は憲法について訴え、トータルでの考えを示していた。


民主党は小沢代表が、野党で過半数を取れなければ政界引退するとまで、言及した。とするなら、これは、参議院選挙であっても、政権交代を視野に入れた選挙と位置づけているということだ。


党首がそのようなに「大きな」選挙と位置づけている選挙の主たるテーマが「年金一本」というのはおかしくはないだろうか?政権交代をいうなら、憲法問題についても、今のところ、ここまではまとまっているというくらい示してほしいものだ。


前回の衆議院選挙で時の総理大臣小泉氏が、郵政改革一本だけを争点にした時(これもおかしな選挙ではあったが)民主党は、その手には乗らず「もっと大事なことがある」などいい、国民の関心と全くずれたことを言って敗北した。


今度は、安倍内閣が、トータルで昨年秋以降の政治全体の評価と、今後の方向性を問うているのに、勝手に争点を年金一本にした。安倍政権の全否定までは出来ず、別の政権構想もないからだろう。


前の衆議院選挙は政権側が一本に絞って来たところに、「もっと大事なこと」を並べ立てて敗北したので、今度は、自ら一本にしたのだろうか?


民主党こそ、政権構想も、根本的な国の未来像も、行く末も示さない、目先の国民の「怒り」だけに乗った、ポピュリズム政党に思えるが、どうだろうか?厳しすぎるだろうか?

消えた年金、宙に浮いた年金をめぐって与野党が罵りあっている。民主党は当然、政府(今の政府。安倍内閣)に責任があるといい、今日、安倍首相は、年金統合の制度を作った時の厚生大臣は菅直人氏(自社さ内閣当時)だったと批判、これに対して菅氏は制度を作った時は自分だが、その意思決定には橋本首相も関わったとか、実際に年金統合の作業が始まった時の厚生相は小泉氏だったと反論した。


これらのやり取りを見ていて、バカらしくなって来た。昨日までは、私はどちらかというと、国民の味方の感じを出しながら揚げ足取りばかりし、政府批判をする野党に何か嫌なものを感じ、では、民主党はどうするのか?と聞きたかった。が、安倍首相の何か、必死の責任の擦り付け合いをみて、どっちもどっちと思えてきた。もうこれは本当にどっちもどっちである。野党支持者は野党の追及を評価するのだろうが、今の政府に、過去に起こった杜撰な事務処理の責任まで負わせて、批判ばかり繰り返し、実際にどうすれば良いのかまでは言わない民主党にも何かしら嫌なものを感じる。


国民は、政府に責任があるかどうか、とか、その時の厚生相にはあまり関心はないだろう。行政は政権が変わっても継続しているから、責任は「社会保険庁」という行政組織にあると言えるが、社会保険庁の上の旧厚生省(現厚生労働省)のトップは政治家であり、大枠の政策は時の政権が決めるのだから、責任は昔の政権政党や大臣にもあるといえるし、また、今、どうするかが問われるのだから、まずは今の政府・政権政党にあるとも言える。責任とはそもそも何なのか?という、おかしな話になってくる。


要はどうすれば、本当に納めた人にはその分を給付する事が出来るか、そして(完全に防ぐ事は無理だと思うが)出来るだけ、ウソをついて、本当は未納だった時の分まで請求してくる人には払わないようにする事が出来るか、技術論だと私は思う。


本当のところどうしたら良いのか分っている人はいないと思う。ここは、もう仕方がないので、広く国民にとにかく不安な人は言って来てください、出来る限り丁寧に調べます、という事にして、誠心誠意やる体制を作るしかない。今でも申請主義を採っているのだから、いずれにせよ、給付される方からの申請がなければ年金は勝手にはもらえないのだから、もう、申請した人のいう事を全部聞いて、その人の立場で、全期間払った前提で給付しします、くらいの対応をするしかないだろう。


そうすると、本当は未納だった、今、生活に困っている、モラルの破綻した老人がウソをつくかもしれないが、もうこれは仕方がない。嫌な話だが記録をなくした政府側(何政権とかいう事でなく、役所に記録がないこの厳然たる事実)が悪いとしか言いようが無い。政府の作る第三者機関が充分な対応が出来るかは疑問だ。人員も時間もとにかく増やすしかないように思う。


一連の流れをみて、本当に今の日本で本当にこんな事が起こったのかと不思議になる。それぐらい杜撰だ。社会保険庁の役人は本当にどうしてこういう事をしたのかと思う。国民の殆んどが、まずまあ、納得出来るかたちで決着がつくかのか見守って行きたい。

最近の世の中のを雰囲気をみていて、うまく、はっきりとは書けないが、何となく、物事の軽重という事がおろそかになって来ている気がする。


簡単に言えば、重要な事と重要でない事が一緒くたにされている。何が重要で、何はそれほど重要ではないか、という事があまり考えられない世の中になって来ているのではないだろうか。


この所、世の中はあらゆる事について、厳罰化の流れにある。私は、厳罰化の流れそのものに反対という事はない。例えば、少年法をきつくする事は今の日本を見る限り賛成だ。(今の日本をと言うところが大事で、いつの時代でも少年法をきつくする事が良いとは思ってない。)飲酒運転についての厳罰化も今の日本を見る限り、賛成だ。また、セクハラなどについて、これまで許されてきた事が許されなくなって来ている、という事も良い風潮だと個人的に思う。つまり、悪い事は悪い、という世の中になり、そして、悪い事は一回でも悪い事であり、それはその人の地位や実績や日ごろの人格に関係なく悪い事なのだ、という感じになって来ている。この事、そのものは良いことだという感じはしている。


が、それはそれとして、しかし、世の中がとても清潔で不正を許さない、良い感じになって来たという感じかというと、そうでもない。うまく書けなくてもどかしいが、表面的、建前的にとても厳しい世の中になって来ているだけで、実質的に日本人や日本の世の中が道徳的になって来たり、民心がとても成熟して来た結果、世の中が不正を許さなくなって来たのではない感じがする。この私の覚える違和感はなんなのだろうか?


極論すれば、人を追い落とすために、つまり、これまで真面目にやってきて地位を築いて来た人でも、一回の「間違い」で、社会から葬られるという雰囲気になって来ているのではないかという事を感じる。勿論、私は飲酒運転もセクハラも絶対に許されないと思っているし、犯罪行為や迷惑行為について、世の中が厳しくなる事は良いことだとの基本的な考えをもってはいる。


しかし、その事とは別に、物事には、全体的に総合的に判断しなければならない事が多いのに、そういう事が考えられなくなって来ているのではないかという気する。飲酒運転やセクハラなど、誰がどうみても憎むべき事を例に出したので、この文章に説得力がなくなっているのだが、私が言いたいのは、大きな仕事をしている人が小さな事で、一瞬で失脚させられる世の中になって来ている事への疑問だ。


小泉前首相は、国債発行高が公約の範囲を超えたときに、野党に攻められ、「この程度の公約が守られない事は対した事ではない」と開き直った。世間は批判したが、私は、実は、なかなか良いことを言うと思った。小泉政治の是非はひとまず、ここではおくとして、小泉氏がしようと思っていた事の「大きさ」に対して、今、なされている批判がより「小さい」ものだと小泉氏は判断したからだろう。これが、あらゆる公約は絶対に、守られるべきであって、どんな事でも一つでも守れなくなれば、首相は即退陣、と法律で決まっていたら、首相は、より「大きな」事に取り組むことが出来なくなる。


今回の松岡前農相の自殺を聞いて、私は、松岡氏に同情した。自殺されるくらいなら辞任された方が良かったのにと残念だ。事務所の光熱費問題は、確かにどうでも良い問題、ではないだろう。政治とカネは重要な問題だ。しかし、そこまで「大きな」問題だったのだろうか?これは分らないが、私は、そこまでとは思わなかった。しかも過去の事である。


松岡氏が本来国会や国民に問われるべきは、事務所の高熱水費の問題よりも、農林水産大臣として、どれだけ国に尽くしているか、農政を発展させているかであったと思う。そっちの方が大事だ。勿論、周辺にカネや女性で疑惑がある人は、どれほど、本業で能力があり、国家・国民に尽くしている人でも、そもそも公職や重職には就くべきではないという意見もあるだろう。


しかし、松岡氏を批判した国民やマスコミが一体どのくらい、松岡氏の本業での、つまり農林水産大臣としての実績や仕事ぶりもみた上で、総合的に批判しただろうか?要するに、少しでも悪いヤツは全部悪いという単純な思考で松岡氏を批判したように思う。こういう風潮がこれ以上続くと、物事の軽重という事が全然考えられない、軽薄かつ恐ろしい世の中が来ると思う。


松岡氏がもっと倣岸不遜な政治家か、小泉氏のような性格の人なら「もう、終わった事ですよ。この程度の事は大した事ではないんですよ。確かに悪い部分は悪かったです。そこは済みません。しかし、私の農相としての方の仕事もみてくださいよ。私が農相を辞める事は、日本の農政にとって損失だという自負心があるから、職にとどまっているのです」くらい言ったかも知れない。しかし、生真面目な方だったのと、そんな力がなかったからか、さらし者にされ、命を絶たれた。やはり現実に抗する力がなかったのが大きいかったのかと同情する。命まで絶たれるなら、本当に辞任されたら良かったと重ねて思う。


昔の日本は、というか、ほんの少し前までの日本は物事をまだ重層的、複眼的にみる感じがあった。そして、物事には軽重があるという事が分っていた人がいた。人の評価にしても、政策論議にしても、まだいろんな要素から考えられた。要素には「角度」というモノをみる方向と共に「軽重」という深さ、浅さというものがある。だから、全部悪い人や全部良い人などというのはいなくて、また、一回の失敗でその人が全部否定される事もそうはなかったように思う。そもそも見識というのは、何が重くて、何が軽いかの判断する力だ。


今は、世の中が煮詰まって、みな余裕がなく、せせこましくなって、自分が生きることが先決になっているせいか、物事の軽重まで考えが至らず、悪い事のレベルが高いか低いかが問題にされくなっている。私は善にも悪にも高低があり、また、物事には軽重があると思う。今の風潮はずっと続くのかもしれない。しかし、軽重がおろそかにされる社会は国民も政治家も見識の低い社会のように思う。



社会保険庁が年金のデータをなくした事によって、もらうべき年金がもらえない人がでているという。


昨日の衆議院予算委員会でかなり野党の議員が厚生労働相に政府の方から、一人一人の年金受給者に連絡するように迫っていた。この問題がここまで酷いことになっているとは思わなかった。


数年前、年金未払い問題が世間の耳目を集めたが、納めたものは、老後もらえるという前提で年金制度は辛うじて成り立っていた。自分がどの期間、どうやってどれだけ納めていたのか、自分で記録しておかなくては、政府はちゃんと記録をとってない(とっていってもどこかへ行ってしまった)という事では、制度の存続うんぬん以前に、年金を納めようという意欲すらなくなるだろう。


5000万件もデータが統合されていない、どうなったか分らないなどという事は信じがたいことだ。今後、こういう事が起こらない保証もないなというような気分になる。一人一人がもらうべき分はもらえるようにして欲しいものだ。

離婚後300日以内に生まれた子どもを一律に前夫の子と見なす民法の規定について、例外的に再婚相手の子と認める新制度の受け付けが始まった。


このこと自体は私は良かったと思っている。が、一部報道をみて何かしら不愉快な気持ちになり、この文章を書いている。


実は、私はこの問題を結構前から知っていた。松下政経塾の先輩の井戸智樹さんと、奥様で現在、兵庫県議をされている井戸正枝さんと間に生まれた子どもが、正枝さんの前夫の戸籍に入らなければならないという事態が起こり、裁判を起こされ、徐々にこの問題が認知されるようになって来た。もう何年も前からこの300日規定のおかしさが直れば良いなと私も思って来た一人なのだ。


今の民法の規定が明治時代に出来たものであり、時勢に合わなくなっている事や、明らかに、今の夫の子どもと分っている子どもを、一時的にであっても、前夫の戸籍に入れなければならない新しい夫の不快な気持ちや、子どもの可哀相さなどを総合的に考えると、300日規定はどう考えても不合理なものに思え、これが撤廃される事を私もずっと望んでいた。良い、通達が出されて良かった、と素直にここまでは思う。


が、この運動をしている多くの人は、今回の事を「一歩前進」にくらいしか評価してない、と聞き、何かしら変な気持ちになってきた。離婚前妊娠の場合は、救済から外れるから、不徹底だという主張なのだ。


結論から言うと、私は今回の法務省の通達がちょうど良いと思う。多くの人の反発を覚悟で、また井戸さんも反論されるだろう事を覚悟で書くが、私個人は、離婚前妊娠にまで拡げるべきだという論調には違和感を覚える。そんな事をしたら、国家(法務省)が正式に不倫や浮気、配偶者以外の夫との性交渉を天下晴れて認めることにつながる(少なくとも容認する)と思うからだ。


私は男女の問題と言うのは「私的」なもので、別に浮気・不倫を絶対に許さない、という所までは言わない。このコメント自体が、ブログに書く文章としては、別の側面から問題なのかも知れないが、そういうものは絶対なくならないし、個々に自分の人生観にのっとって行動するのが大人だと思う。(あくまでも、不倫・浮気、配偶者以外の人との性交渉を良いと言っているのではない。念のため。あるものはあるという現実は認めているという意味。)が、法律や国家(法務省)が、不倫・浮気という行為を結果として認めるような事は、国のありようとしては、絶対にダメだと思う。


一歩前進だが、もっと更に制度を改正して欲しいなどと言う人は、自分のした行為と、そういう主張をしている事を恥ずかしいと思わないのだろうか?勿論、個々にはいろんな事情がある事くらいは分るが・・・。


離婚前に妊娠した女性が記者会見で、離婚後と離婚前で明暗が分かれたなどと言っていたが、離婚後に知り合った新しい男性との間に子を授かった人と(もし、仮に、本当は離婚前から付き合っていたとしても…)、法的に(裁判の泥沼があったにせよ)れっきとした夫がいるにも関わらず、別の男性の子ども妊娠した女性との間に大きな壁を設けた事は法務省の良識的な判断だと思う。


勿論、明らかに今の夫の子どもを何故、前夫の戸籍に?という疑問、そんな事はしたくないから無戸籍になる子どもが出る、それは可愛そうだ、という気持ちは正直、一人間としての私にも残る。が、その事と、離婚前妊娠をした人に(結果としてでも)その人の側に立った制度を作る事の是非は、やはり別問題として考えなければならないと思う。冷たいようだが、ここは大事だ。


自民党や法務省を「時代遅れ」「古い」と言って批判するような考えは明らかに「行きすぎ」であり、家族を崩壊させ、性道徳などどうでも良いとする危険な思想だ、と私はどうしても思う。家族制度も性道徳も全部崩壊すれば良いのだ、という思想をもっている人は、それでそれで一つの思想だが、私は、その思想には与しない。


さきほど、「ニュース23」を見て、男性キャスターが「法律論が道徳論にすりかえられた感じがする」などと言っていたが、何をかいわんやだと思う。法律の上位に道徳があって、道徳に反する、そぐわないと思われる事ような法律を作らないというのが、政治や行政の判断ではないか?


ゲストの女性弁護士も、離婚前に妊娠した場合、実際の夫婦関係が崩壊している場合が多い、これから生まれてくる命を優先するか、云々みたいに言っていたが、おかしな事をいうなと思った。不倫、浮気が原因で夫以外の子どもを「先に」妊娠して、そして、それが原因で夫婦喧嘩になり離婚に至るケースも想定出来るではないか?


離婚前妊娠を認める事は、結婚しても女性はどんな男性とも、いつでも親しくなって自由に子どもを産めば良いという考えを後押しする事になると思う。婚姻制度、家族制度の否定と崩壊助長だ。キライな夫と早く離婚をしたいと内心望む女性が、ためらいなく、新しい(これから結婚したいと内心望む)男性の子ども妊娠するという事も起きるだろう。家族も崩壊、倫理もクソもあったものではない。


明治の医学が発達してなかった時代に出来た民法の規定の不条理に対し、明らかに今の夫の子を、前の夫と離婚した後に、妊娠した女性に対して、救済の道を開いた事は評価したい。これまでの300日規定はあまりにおかしすぎた。しかし、夫がいる状況で他の男性の子ども妊娠した人にまで大きな顔をされては、一体、この国はドコまで崩壊してゆくのかと思わざるを得ない。