「うわーっ」
僕は自分の叫び声で目が覚めた。
体中にびっしょりと汗をかいており、心臓は早鐘のように脈打っていた。
「憲一さん」
隣では上体を起こした状態で、さとみが心配そうに僕の顔を見つめている。
「大丈夫ですか」
さとみは夢の中の不気味で陽気で異様だったさとみから、普段の、僕が知っている優しいさとみに戻っていた。
そこで漸く僕は、自分が体験していた異常な現象が悪夢の中の出来事だと悟って、ふうと安堵のため息を漏らした。
「さとみ」
「はい」
僕はさとみを無心に抱き寄せると、
「ありがとう」
と、言った。
さとみをねぎらうのに妙に気のきいた科白など必要ないのだ。ただ素直に『ありがとう』と言えば、それでいいのだ。
そのときの僕は、側にいてくれるのが悪夢の中のさとみでも、景子でもなくて、今、目の前にいるさとみであってくれてよかったと、心の底から思った。
さとみは、そんな僕の思いが解るはずもなく、不思議そうな顔をすると、
「とにかく、朝ごはんの支度をしますから」
そう言って、僕の腕をほどき、そそくさと着替えるとリビングの方に向かった。
そのとき、ふいに昔読んだ心理学の本に書かれていたもうひとつのことを思い出した。
僕はユングの説のことをすっかり忘れてしまっていたのだ。ユングによると、夢の意義は、『意識』の部分が欠けているところを『無意識』が『補償』してくれる働きをもつと言うことだった。
今しがた観た悪夢は、まさに僕の『無意識』が、我が妻子を『もっと大事にしろ』と警告して見せたものだと考えられるのではないか。
さらに突き詰めると、景子の夢でさえも、ある種の『警告』であったと考えられるのではないだろうか。
景子の夢は、おそらく僕の罪の意識を表すものと考えることができる。つまり、僕は、景子との浮気を望んでいたということで、あの夢の終わりにエスカレーターの上から僕を睨んでいた『景子の姉』は、そうした僕の願望をとがめる役割を担っていた『無意識』なのだ。
とにかく、ただ働いて、稼ぎを持って帰り、寝起きを共にするだけでは充分ではないのだ。何が欠けているのかはわからないが、今以上に彼らのために尽くしてやらなければならない――今しがた観た悪夢にしろ、景子の夢にしろ、そのようなメッセージを含んでいるのかもしれない。
そこまで考えたところで、ふと、『食べ物たち』の夢のことが思い出されて、そう言えば、あれらの夢の解釈は――そんな疑問に思いあたった。
しばらく考えていると、意識の階層がピラミッド形に、上から『意識』、『個人的無意識』、『集合的無意識』の順に分けられて構成されている図が、頭の中にうかんできた。
『食べ物たち』の夢は、おそらく人類に共通と言われる『集合的無意識』が見せたものだ。
『しょうかえろ』という言葉の意味はいまだにわからないが、おそらく母よりも前の世代、それもずっとずっと前の世代から、我々日本人が『食べ物』にされた『生き物』たちを供養するために口にしてきた言葉なのだ。
夢の中に出てきた食べ物たちが本物の亡霊であるかどうかはわからないが、きっと何らかの『警告』のメッセージを携えて、僕の夢の中に出てきたと考えれば、充分説明がつくように思われる。
先日、景子の夢を観て以来、僕の中でくすぶっていた疑念のかなりの部分が、そのとき、自分の中で解消されたような気がした。
そこで、さとみが呼びかける声が聞こえてきた。
「ごはんですよ」
愛してます
