おふじ
🔶女は、まさに小間物屋助次郎の女房おふじであった。
このごろ下町の女房たちの間に流行しているしゃこ髷(まげ)もがっくりとくずれ、おふじは火鉢の灰のような顔色になっていた。
なよなよとか細いからだつきの・・・・・・そして大きな双眸(りょうめ)が、大きければ大きいほどにもの哀(がな)しいという・・・・・・こういう女にひしと取りすがられたら、
(おれはどうなっちまうんだろう・・・・・・)
と、どんな男でもおもうような・・・・・・おふじはそういう女であった。
小野十蔵は、その場で、おふじを取り調べることにした。
「お前、亭主を殺したのだな?」
身分をあかしておいてから、十蔵が、おふじを問いただしにかかった。
助次郎は別れ話を持ち出し、
「もう二度と会えねえよ」
こともなげにいいはなち、おふじが「わたしのお腹の子は父(てて)なし子になるのかえ」と、泣き叫ぶや、
「うるせえ」
いきなり、おふじを蹴倒し、三カ月の女房の腹を踏みつけたという。
「そ、それで・・・・・・それで私、もうかっとなってしまいまして・・・・・・」
つかみかかったが、とてもかなうものではない。
助次郎は、せせら笑いながら台所にあった酒を冷(ひや)のまま四合もあおりつけるようにして飲み、
「もうじきに梅吉兄(あに)いが来る。それまでは居てやらあ」
ふだんには似合わぬ乱暴な口調でいい、夜具をのべて眠りこんでしまった。
その、助次郎の寝顔を見ているうちに、おふじはむらむらと殺意がわきおこってきたというのである。
◇
おふじは、相州・藤沢宿の荒物屋で富市という者のひとりむすめに生まれたが、四歳にして母をうしない、十七歳にして父をうしなった。ろくな縁者もないものだから、旅籠の[さかや八郎左衛門]の世話で江戸へ出て、東両国の小間物屋・日野屋円蔵方へ下女奉公にあがった。
かげひなたなくはたらくおふじは主人夫婦からも目をかけられ、二十(はたち)の夏を迎えたころ、
「前のおかみさんを亡くして、少し年をくってはいるが、ごくまじめな人がいる。どうだえ、嫁に行っては・・・・・・」
主人・円蔵の口ききで、おふじは小間物屋助次郎へ嫁(とつ)いだ、と、こういうわけであった。
◇
あの夜。
小野十蔵は、おふじを役所へ引き立てるにしのびなかった。
めんめんと語るおふじの身の上をきいてしまってからは、
(この女に、しずかにこのまま、腹の中の子を生ませてやりたい)
と、小野十蔵の決意が次第にぬきさしならぬものとなっていったのである。
十蔵が、みだらな野心を抱いて世話をしてくれたのではないことがわかっているだけに、おふじも次第に男の親切にほだされていった。
二人が抱き合い、たしかめ合ったのは、ごく自然のなりゆきであったといえよう。
こうした二人の密会がつづくうち、またたく間に秋が来て、おふじは、いかにも丈夫そうな女児を生みおとした。
(一)啞の十蔵
おふじに関わる者
小川や梅吉
・押上の喜右衛門方へ駈けつけてみると、おふじは小屋にいなかった。
小川や梅吉の手の者が引きさらって行ったにちがいない。
小野十蔵の死後三日目の朝に、深川の仙台堀へ、おふじの水死体があがった。
おふじのくびには絞殺の跡が歴然としていた。
(一)啞の十蔵
小野十蔵
・春から夏へ・・・・・・。
ついに、小野十蔵は身重のおふじと情をかわし合ってしまっていた。
(一)啞の十蔵
喜右衛門
・小野十蔵が、おふじを押上村の喜右衛門方へあずけたのは、喜右衛門の家が十蔵の祖母の縁者であったからだ。
「役目がら大事の女だ。ひそかにあずかってくれ」
十蔵がたのむと、喜右衛門は一も二もなく引きうけてくれた。
(一)啞の十蔵
長谷川平蔵
・「去年死んだ小野十蔵と、ほれ、かかわり合いになり、仙台堀へ浮かんだおふじという女な」
「はい?」
「その女は、かの小間物屋の助次郎の子を生んだ」
「はい。そのようにうけたまわりました」。。
平蔵夫婦は二男二女をもうけていた。
「それで、な・・・・・・」
「はい?」
「盗賊の子と知って、押上村の喜右衛門は、そのお順という子を持てあましはじめたそうだ」
「まあ・・・・・・」
「おれたちが、その子を引き取ってやろうとおもう。どうだな」
「はい。おこころのままに」
「おれも妾腹(めかけばら)の上に、母親の顔も知らぬ男ゆえなあ・・・・・・」
(一)啞の十蔵