船宿 [嶋や]

 

◆今戸橋に[嶋や]という、平蔵にはむかしからなじみの船宿がある。

 ここから舟を出させると共に、平蔵は由松という三十男の、しっかりした船頭へ、こころ急(せ)くまま、

「役宅へ駆けつけ、五、六人、渋江村・西光寺うらの化物屋敷へ来い、とつたえてくれ。駕籠をつかってもよいぞ」

 いいつけておいて、舟へのりこみ、大川から鐘ヶ淵をまわり、渋江村へ急行した。

(四)血闘

 

 

 

◆その朝。

 長谷川平蔵は、例のごとく単独の微行で、清水門外の役宅を出るや、まっすぐに浅草・山谷堀へ向った。

 今戸橋の船宿[嶋や]へ、船頭・由松の病気を見舞ったのである。

 先ごろ、女密偵・おまさの危急を救わんとして、平蔵が渋井村の[化物屋敷]へ駈けつけたとき、こころ急ぐままに由松を役宅へ走らせ、応援をもとめた。

 ところが由松、ふだんは落ちついて、しっかりした男なのに、

「駕籠をつかってもよいぞ」

と、平蔵がいいつけたのを、駕籠よりもおれの足が早い、とばかり、まっしぐらに役宅へ駈け向う途中、浅草・東本願寺前で暴れ馬にぶつかり、蹴倒されて気をうしない、これがため救援の手が遅れ、平蔵は、おまさともども、いのちがけのおもいをしたものである。

(四)あばたの新助

 

 

 

◆ゆっくりと大川(隅田川)をのぼり、浅草・今戸橋に近い[嶋や]という船宿へ舟をつけたのは、八ッ(午後二時)ごろであったろうか・・・・・。

 平蔵は、清水門外の役宅を出るとき、押上村の春慶寺に寄宿している左馬之助へ、

「今戸の嶋やへ来てくれ」

 使いを出してあったので、早くも左馬之助は待ちかまえてい、すぐさま、酒になった、というわけなのである。

[嶋や]には気のきいた板前がいて、ちょいとうまいものを食べさせるので、平蔵はひいきにしている。

(四)五年目の客

 

 

 

◆「三人でやろう。どうやら、こっちへ目をつけているほうが、いちばん近道らしい」

「その後の手がかりは・・・・・?」

「さっぱりとねえよ」

 がらり、伝法な口調に変って長谷川平蔵が、

「さ、この三つ重(がさね)を先へ取ってくんな。ここへ来る途中(みち)今戸の嶋やで仕入れて来たのよ。中はばんのつけ焼に茄子の田楽。そのほか、いろいろ入(へえ)っている。彦十爺いをたたき起して、いっしょにやろうじゃあねえか。さ、こいつも取れ。いい酒(の)が入っているぜ」

 と、いった。

(六)狐火

 

 

 

◆「おかげで、いいものを見せてもらった。ほんの礼ごころに、一杯つき合ってもらおうか、どうだ?」

「へい、それはもう・・・・・」

「帰りも、お前の舟にしよう。それならよかろう」

「へい、へい」

 舟を、浅草・今戸橋に近い船宿の[嶋や]へ着けさせ、平蔵は友五郎をうながして岸へあがった。

 

「この嶋やというのは、おれがなじみでな。腕のいい板前がいて、いまごろは、あぶらの乗った沙魚(はぜ)をうまく食わせる」

「へ・・・・・さようで・・・・・」

 嶋やの女中たちも、よく心得ていて、微行姿の平蔵があらわれたとき、うっかり「長谷川さま」と、口をすべらすことなぞ決してなかった。

(六)大川の隠居

 

 

 

◆そのほかに、かの山谷堀の吉野屋にも近い[嶋や]という、これも船宿に別の二人を待機させたのである。

 嶋やは、かの[五年目の客]事件の折にもつかわれた長谷川平蔵なじみの船宿だ。

(十二)密偵たちの宴

 

 

 

◆大川(隅田川)をのぼり、浅草・今戸橋に近い船宿。

 気のきいた板前がいて、ちょいとうまいものを食べさせるので、平蔵はひいきにしている。 

(十五)急変の日

 

 

 

◆「長谷川さま・・・・・もし、長谷川さま・・・・・」

「む・・・・・何じゃ?」

 凝(じつ)と川面を見つめていた長谷川平蔵が顔をあげるのへ、

「どこへ舟をお着けになりますんで?」

「そうさな。うむ、今戸の嶋や着けるがよい。久しぶりに爺つぁん。一杯のもうではねえか」

 友五郎は、くびをすくめた。

 今戸の船宿・嶋やの座敷で、自分の前身が盗賊だったことを、平蔵に見破られたことが、友五郎の脳裡によみがえったのであろうか。

(十六)火つけ船頭




🔶その日の午後。

 長谷川平蔵が、今戸の船宿[嶋や]へあらわれた。
 この前に佐嶋与力を連れて来て、[嶋や]の二階で、同心・細川峯太郎を見張った日から数えて四日目のことである。

 今日は、平蔵ひとりで、例によって塗傘に着ながしの浪人姿だ。

「今日は、起きられるかと存じますので、ちょっと御挨拶を・・・・・」

「あ、待て」

「はい?」

「それにはおよばぬ。癒(なお)り切るまでは、いささかもむりをさせてはならぬ。わしが来たことは、後になって申すがよい。この平蔵の名が、あるじの気つけ薬になるならばじゃ」

 

「は、はい・・・・・」

 お金は、目頭を指で押えた。

「それにしても、晴れた日のつづくことよ」

「けれども、間もなく梅雨がやってまいります」

「それを想うと、うんざりするのう」

「まったくもって・・・・・」

「若いころは梅雨であろうが日照りであろうが、雷も風も、まったく気にならなかったものだが、もはやいかぬわ。梅雨どきは腰が痛む」

 平蔵は、[嶋や]で一刻ほどをすごしたろうか。

 例の船頭・伊三郎の家の博奕場
 


 

船宿「嶋や」に関わる人たち

 

伊吉(船頭)

・気のきいた男。

(二)妖盗葵小僧

 

 

亀次郎

・[嶋や]は古い船宿で、長谷川平蔵が若いころからのなじみだったし、亭主の亀次郎とは身分ちがいながら、幼(おさな)友だちといってもよい。

 この亀次郎の若いころは大変な道楽者で、同じころに無頼な生活をしていた平蔵と博奕(ばくち)場で大喧嘩をしたこともある。

(二十二)夜鴉

 

 

お金(きん)

・平蔵は、この日、はじめから[嶋や]へ立ち寄るつもりだったらしく、二階の座敷へ挨拶に来た亀次郎の女房お金へ、

「この薬を、日に三度、煎じてのませるがよい」

 こういって、表御番医師の井上立泉が、わざわざ処方してくれた薬をわたしたので、お金は、

「まことにもって、かたじけのうございます」

 泪ぐんで、おしいただいた。

(二十二)夜鴉

 

[嶋や]の女房お金は、平蔵が、またしても、あるじの亀次郎の見舞いに立ち寄ってくれたものとばかりおもいこみ、

「恐れ入りますでございます」

 何度も、くり返した。

(二十二)逢魔が時

 

 


由松(船頭)

・いっぽう、船頭の由松は、

「なに、駕籠よりもおれの足のほうが早い」

 とばかり、まっしぐらに清水門外の役宅へ駈け向った。

 さ、そこまではよかったのだが・・・・・。

 一刻(二時間)もあれば、かならず駈けつけて来るはずの部下たちが、二刻をすぎて、まだ平蔵のもとへあらわれないのだ。

(四)血闘

 

 

およし

・[嶋や]の女中