道場主・坪井主水

 

◆上州・倉賀野に住む浪人の三男・坪井主水が剣術修業の旅をしていて、この上杉道場へあらわれたのは、周太郎が十九歳のころであった。

(この人こそ、わが師とたのむべきである)

 と、坪井は深く決意し、以来七年にわたる修業を上杉父子のもとでつんだ。

 やがて、師から独立をゆるされ、上州の老父からいくばくかの金を出してもらい、江戸へ来て小さな道場をひらき、今日に至っている坪井主水であった。

 

 坪井道場はかまえもささやかな、あまり目立たぬ存在だが、知る人ぞ知る、であった。

 

 当主の坪井主水は、当年五十三歳。剣術もすぐれているが金にも名誉にも縁がなく、江戸の剣術界で「売り出そう」なぞというところは全く見られず、下男一人をおいたきりで、早朝には先生みずから道場の床をふき清めるという・・・・・そのことを剣友・岸井左馬之助からきいた長谷川平蔵が、

「そういう人物でなくてはならぬ」

 と、あまり乗気でない息子を入門させたのである。

 

 入門の折には、少年の辰藏をつれて長谷川平蔵みずから、桐の箱に白扇五本を入れ、速脩(そくしゅう)をととのえ、羽織・袴に身を正して、

「よろしく、御願いつかまつる」

 と、あいさつに出たものだ。

 

 のちのちまで、このときの平蔵の礼儀正しい態(さま)に坪井主水が感心をして、

 

「あのような御立派な父上をもたれたからには、もそっと上達をせねばなるまい」

 と、口ぐせのように辰藏をいましめるのだが、どうもこの弟子、すじがよくない。

「お前のすじの悪いのはわかっておる。なれど、坪井先生に日々接することのみにても、お前のためになることだ」

 と、平蔵もつねづね息子にいいきかせている。 
(四)霧の七郎

 

 

◆「あの年齢(とし)で、よくもあれだけの稽古ができるものです」

 と、いつか役宅をおとずれた坪井主水が感心して、もらしたことがあったほどだ。

(八)あきれた奴

 

 

◆午後になって、

「近くまでまいりましたので、もしや、御在宅かとおもい、立ち寄らせていただきました」

 と、役宅へあらわれたのは、市ヶ谷に念流の道場をかまえる坪井主水であった。

「これは坪井先生、よくこそ・・・・・」

 よろこんで居間に招じた平蔵へ、坪井主水が、

「ちかごろは辰藏の進境に、目ざましいものがござる」

 と、報告をした。

 

「ほう・・・・・あの、せがれめが・・・・・」

「はい。ようやくに、剣術のおもしろさがわかってまいったようでござる」

「ははあ・・・・・」

「ここまで来るのに、十余年かかりましたが・・・・・」

「まことにもって、不肖(ふしょう)なやつ」

「これからが、真(まこと)の修行でござる」

「存分に、叩(たた)きのめして下されたい」

「かしこまった」

(十二)白蝮

 

 

◆「どこの道場だな、それは・・・・・」

「市ヶ谷の左内坂の、たしか、坪井主水という・・・・・」

「なるほど」

 そこで平蔵が、高橋浪人へ、

「五人まで叩き伏せたといったが、その名をおぼえているかえ?」

「さあ・・・・・忘れましたが・・・・・」

 しかし、よくよく尋ねて見ると、どうも息子の辰蔵が、五人の中に入っていたらしい。

(そうであろう。辰蔵では、まだ、この男には歯が立たぬ)

 最後に出た六人目の男というのは、道場のあるじ・坪井主水であった。

 これまた、高橋浪人では、

(歯が立たぬ・・・・・)

 のである。

(十七)特別長篇 鬼火 旧友

 

 

坪井主水が関わった門人・人物

阿部弥太郎

・辰藏と同じ坪井道場に通う。二人とも剣術のすじがよくない。

 

上杉馬四郎

・信州・屋代に近い村の郷士の次男に生まれたが、少年のころから、同村に住みついていた念流の名人・笹川忠兵衛にまなんで、免許皆伝をゆるされ、忠兵衛亡きのちは、その馬小屋のような破れ道場をつぎ、尚も研鑽にはげんだ。

 

上杉周太郎

・上杉馬四郎の子。父ゆずりの剣術好きで、ろくに門人も来ない道場で父子ふたりが終日、木刀を打ち合わせてたゆむことがなかったそうな。

 

大野弁蔵

・高橋浪人へ、平蔵暗殺の事をもちかけた中年の浪人は、名を大野弁蔵というそうな。

 一年ほど前に、高橋勇次郎が、どこぞで道場破りをやっているのを、大野は武者窓の外から見物していて、出て来た高橋へ、

「ま、つきあってくれ。おれと組んでやろうではないか」

(十七)旧友

 

小柳安五郎

・以前の安五郎は、別に剣術が得意というわけでもなく、色白の細っそりとした、やさしげな面(おも)だちの男であったが、ここ二年の間に風貌も一変した。筋骨がたくましくなり、陽に灼(や)けつくした顔が精悍(せいかん)に引きしまってきている。余暇ができると、長官の息・長谷川辰藏が門人となっている市ヶ谷左内坂の坪井主水の道場へ通って、熱烈な稽古にはげむ。

(八)あきれた奴

 

高木軍兵衛

・長谷川平蔵との約定によって、市ヶ谷・左内坂の坪井道場へ通い、稽古にはげむようになる。

(十二)二人女房


・その坪井道場には、平蔵の息・長谷川辰藏が修業中であるし、かの[用心棒事件]以来、いまも深川・佐賀町の佐野倉勘兵衛方に寄食(きしょく)している高木軍兵衛も一日置きに通っている。

(十七)旧友

 

高橋勇次郎

・そのときの高橋は、

「五人までは叩き伏せましたが、六人目に出て来た男にやられまして、一文にもならず、出て来たところへ、大野から声をかけられたのです」

(十七)旧友

 

長谷川辰藏

長谷川平蔵の長男・辰蔵は、十歳のころから坪井道場へ入門をし、剣術をまなんでいるが、 父・平蔵の若いころに負けはとらぬ遊び好きの辰藏宣義。

 どうもこの弟子、すじがよくない。

(四)霧の七郎

 

長谷川平蔵

・「親のひいき目で見ても、きゃつめには剣術の筋はない」

 かねてから平蔵は、あきらめていたようである。

(十二)白蝮