与力・天野甚蔵
🔶雨が激しくなった。与力・天野甚造が指揮をとる盗賊改方は、三倉やに向って三方から闇の中をさりげなく通行人の姿をよそおい、少しずつ近づいて行った。
さらに、大井川の川越人足(にんそく)数百名を管理する[川越役所]から五十余名の人足たちを駆り出し、それを同心・竹内孫四郎と小柳安五郎が指揮し、遠巻きに配置を終えた。
「そろそろ、時刻でございますが・・・・・・よろしゅうございますか?」
裏通りに面した林入寺(りんにゅうじ)の山門の蔭にかくれていた小房の粂八が、傍の天野与力へささやくと、
「お前、入ってくれるのか?」
「感ずかれていねえとはかぎりませんからね」
「たのむ」
「それ!!」
与力・天野甚蔵の手で、小者の一人が掛矢をふるって表戸を叩きこわした。
「手向かえば、かまわず斬れ!!」
と、長谷川平蔵から命じられているだけに、天野与力も、同心・酒井祐助も大刀をぬきはらって屋内へ突入した。
血頭の丹兵衛へは天野甚蔵が組みつき、足がらめにかけて押し倒し、それへ小者が手伝って縄をかけた。さすがの丹兵衛も、六十の老齢だけに、昔日のはたらきを見せるべくもなかったといえよう。
ほかに、捕えた盗賊二名。残り七名はすべて斬って捨てられた。
(一)血頭の丹兵衛
🔶長谷川平蔵が役宅へ帰ったのは、夜もかなりふけてからのことで、
「天野をよべ」
すぐに平蔵は、役宅内の長屋に住む与力・天野甚造をまねき、密談一刻(二時間)におよんだ。
さらに翌朝。同心の酒井祐助がよばれ、天野をまじえて三人の密談があり、酒井同心は、この夜から役宅を出て行方知れずとなった。
(一)暗剣白梅香
◆幸太郎が奉公をしている大坂屋へは、与力・天野甚蔵が出張った。
大坂屋の主人・伊之助は、天野与力の「手代・幸太郎はもどったか?」の問いに対し、さっと顔色を変え、
「やっぱり幸太郎が、なんぞいたしましたか?」
「幸太郎は、いささかの悪事もしておらぬ。安心しておれ」
と、天野はいいおいてきている。
(五)女賊
◆「小柳が、そのような、たわけたまねをするとはおもわれませぬが、これはいったい・・・・・?」
当直で役宅につめていた与力の天野甚蔵が駆けつけて来て、いかにも腑(ふ)に落ちかねる表情で、
「ともあれ、すぐさま御手配を・・・・・」
と、いいさすのへ、
「いや、待て」
長谷川平蔵はこれをとどめた。
「なれど、これは一刻も早く取り押えませぬと、盗賊改方の名が汚れまする」
「なればこそ、待てと申すのだ」
微(かす)かに、平蔵は苦笑をうかべている。同じ与力でも佐嶋忠介なら、天野のように狼狽もせぬだろうし、平蔵へ向ってわかりきっていることを臆面もなくのべたりはしない。そこに同じ与力でも力量と人柄の差が大きくあらわれてくるのだ。
「むやみにさわぐな。このことは役宅内の者どもへも堅く口どめをいたしておけ」
(八)あきれた奴
◆すぐさま、件(くだん)の男を役宅内の白州へ引き出し、天野甚蔵が尋問にかかった。
男は依然、口を割らぬ。
拷問で痛めつけられた物凄い形相なのだが、大きく張り出した額の下にくぼんだ金壺眼(かなつぼまなこ)は意外に冷静な、暗い光りをたたえてい、たたみかけて問いつめる天野与力のほうが、その不気味な眼の光りにたじろぐかたちになってしまう。
なんと問いつめ、どのように責めつけられようと、この男は啞のごとく口をきかぬ。
「啞なれば、身ぶり手ぶりをいたしますだけましでございます」
天野は、平蔵にこぼしぬいた。
(九)雨引の文五郎