横田大学義郷(二千石の大身旗本)
◆その国光の短刀というのは・・・・・。
横田家の先祖・五郎右衛門義広が、徳川初代将軍・家康から賜(たま)わったという[いわくつき]のものであって、これは横田家にとってかけがえのない宝物だ。
徳川将軍の家臣としての名誉と誇りが、すべて国光の刀にこめられている。もしも、この刀が盗まれたなどというのなら、横田大学が現将軍から切腹を命ぜられても当然なのである。
大学は、山本伊介のみをしたがえ、みずから貴重品を所蔵してある蔵の中をしらべて見て、
「う、むう・・・・・」
悲痛なうめき声を発した。
「な、無い・・・・・」
のである。
新藤五(しんとうご)国光、七寸五分無反(むぞり)の短刀は、完全に消え失せていたのである。
「伊助」
読み終えた手紙を巻きおさめつつ、横田大学が、
「そち、二十年前のあのことを、いまは忘れてくれておろうな?」
しずかに問いかけたのだが、山本の顔色がさっと変った。
「ある人に問われ、いたしかたもなく、二十余年前に、いまは亡きわが父がそちの妹・もよに手をつけ、もよが身ごもったるとき、母上がもよを屋敷から追い退(の)けたることを、すべて語りつたえたところ・・・・・その人は、このたびの千代太郎をかどわかしたものどもに、そちが加担いたしおるに相違なし、と申された」
横田大学が、平蔵と佐嶋へ迎えの駕籠をよこし、屋敷へ招いた。
「こたびのことは、なんと御礼を申してよいか・・・・・」
二千石の大身旗本が四百石の長谷川平蔵の前へ両手をつき、
「この、自分のこころを、かたちにしてあらわさねば、こころがすみ申さぬ。なんなりと申しつけていただければ、まことにうれしいのだが・・・・・」
(六)礼金二百両
横田大学に関わる者
千代太郎
・男まさりの芳乃も千代太郎だけは、まるで舐(な)めまわすようにして可愛がるし、だから千代太郎も祖母にはなついているのだ。なついてくれるから尚更に可愛がることにもなる。
そこで四日の昼前に、千代太郎が広尾の別邸へ向った。十二歳の千代太郎が、馬に乗って出かけたのは「お祖母(ばあ)さまにお見せしたい」からであった。
愛宕下の本邸からは、それほど遠くはない。広尾ヶ原・東面の道へ一行がさしかかったとき、午後の陽ざしはまだ明るかった。
そこで、襲われたのである。
「あっ!」という間もなかった。
(六)礼金二百両
山本伊介
・山本伊介は、もと松下兵庫という大身旗本の家来であったが、松下兵庫が不行跡のかどをもって幕府の怒りを買い、家を取りつぶされたのち、松下兵庫と親交があった横田家の[先代・殿さま]に引きとられ、家来となった。
このとき、妹のもよも横田家の侍女となったのである。
(六)礼金二百両
もよ
・[先代・殿さま]が十七歳のもよに手をつけ、もよは妊娠をした。
これを知った奥方の芳乃は激怒し、なんと、わずかに金十両をわたし、身ごもったもよを屋敷から追放してしまったのだ。
このとき、もよは、せっかくに横田家へ奉公がかなった若い兄の将来をおもい、なげき怒る兄をなだめ、駿府(静岡市)の遠縁をたよって、江戸を去ったのだそうな。
もよがだまって出て行けば、伊介の身はそのまま、というのが奥方の出した条件なのである。
[先代・殿さま]は養子だけに、家つきの奥方へはあたあまがあがらず、一度も、もよをかばってはくれなかったという。
駿府で、又太郎を生んだのち、十年後にもよは病死した。
(六)礼金二百両
又太郎
・「佐嶋」
「はい」
「役宅の牢へ入れてある山本伊助と又太郎を、どう始末するか、な」
「それにしても、あの又太郎が、網切の甚五郎の手先であったとは・・・・・」
「甚五郎は、おれが成敗してしまった。それで又太郎のような下ばたらきの盗賊があぶれてしまい、今度のようなことをおもいついたのだろう」
(六)礼金二百両
芳乃
・横田大学の母・芳乃は、この景観を愛し、ほとんど広尾の別邸に暮しているが、旧年の秋ごろから健康を害し、病を養っているため、正月にも愛宕下の本邸へもどらなかった。
六十一歳になる芳乃は非常に気性が強く、当主の大学も四十を越えていながら、母の前へ出ると、いまも小児(こども)同然に叱りつけられたりする。
だから、この[やかましや]の御隠居が別邸に暮していることを、本邸の奉公人たちはよろこんでいるらしい。
(六)礼金二百両