長谷川辰藏宣義(のぶのり)

 

◆「当主のおれが江戸をはなれている間、お前がこの家のあるじだ。いささかも怠慢あってはならぬぞ」

 辰藏をよび、厳然といいわたした。

 辰藏は、親類の間でも、

「平蔵(おやじ)の若いころとはちがい、実にそれは、まじめでしっかりしたものだ」

 などと好評を得ているが、なかなかどうして、抜け目なく酒色にも通じていて、こっそり巧妙に遊びまわっていることを平蔵は看破していた。

 

「おれが京よりもどったとき、お前の留守居ぶりが気にくわなんだときは、どのような仕置きをうけねばならぬか、よくよく考えて見よ」

 ぶきみに釘を刺すと、辰藏は青くなって両手をつき、声をふるわせて、

「いのちにかえましても、きっと・・・・・」

 などと大仰(おおぎょう)なことをいった。このせがれ、芝居気も相当なものだ。 

(三)盗賊秘伝

 

 

 

 

◆「これは、どうも・・・・・たまらぬなぁ・・・・・」

目白台の屋敷を出たときから、彼はもうげんなりしていた。

 彼とは・・・・・長谷川平蔵の長男・辰藏宣義である。

二十一歳の辰藏が、その若さで夏の暑さにまいっているというのも、

三日ほど前から腹をこわし、しぶとい下痢になやまされつづけていたからだ。

「ああ、どうも・・・・・ああ、いかぬな、これは・・・・・」

 

 ひょろひょろふらふらと、火鉢の灰のような顔色で道を歩いている辰藏が、これほどのおもいをしながらも、なお目的の地へ向って行くのは、ただもう遊び金ほしさの一念なのである。

 そこで、今日の金策となったのである。

 では辰藏、どこへ金を借りに行くのかというと、巣鴨村の大百姓・三沢仙右衛門のところへであった。

(四)霧の七郎

 

 

 

◆家族そろって食事を共にしたのは、四日の夜だけのことで、翌五日は昼すぎになっても、夕暮れが来ても、平蔵は寝間から出て来なかった。

「よく、ねむれるものですね、母上」

 と、辰蔵があきれて、

「先刻(さっき)、のぞいて見ました。いびきをかいておられました」

(六)礼金二百両

 

 

 

 

◆辰蔵いうまでもなく、火付盗賊改方の長官(おかしら)・長谷川平蔵宣以(のぶため)の長男で、この年、寛政四年の正月を迎えて二十歳となった。

 父・平蔵が火盗改方に任じ、母・久栄と共に清水門外の役宅で暮すようになってより、辰蔵は目白台の私邸で妹の清と留守をうけたまわっている。

 もう一人の妹・初子は、去年十八歳で、旗本・河野吉十郎へ嫁入っていた。

「辰藏。お前は目白台の屋敷の主(あるじ)とおもえ。おれのかわりに留守の責任(せめ)を負うのだ、よいか」

 と、長谷川平蔵は、かねてから、きびしくいいつけてあるのだが、そのときは神妙に、

「辰藏、一命にかえましても・・・・・」

 大仰(おおぎょう)なことばでうけ合い、調子もよく、

「なにとぞ父上には御安心下さいまして、天下平穏のため、悪人どもをこらしめて下さいますよう」

 などと、いっぱしのことをいうのだが、なかなかどうしてこの藏、女あそびにかけては相当なものなのだ。

 

  一人きりになったお順に会い、くわしく身の上をききとった上で、長谷川平蔵は、辰藏を役宅へ呼びつけ、

「お順を、関のうどん屋へ送りとどけてまいれ」

 と、いった。

「はっ、よろこんで・・・・・」

「なれど、手を出すなよ。もしも、そのようなまねをしたなら、この父が、きさまの素っ首を叩(たた)き落としてくれる。よいか」

「へへっ・・・・・」

 炯々(けいけい)たる父の眼光をうけて、辰藏は、ふみつぶされた蛙のような顔つきになってしまった。

(七)隠居金七百両

 

 

 

◆(これではっきりした。松岡重兵衛は、昨日、辰蔵が後をつけていたのを気づいていたのだ。なればこそ、今朝早く通り新町の家を引きはらい、その足で喜田川へ駈けつけ、急を告げたのであろう、やはり、せがれめでは役に立たぬわ)

 がっかりしてしまった。

 それもこれも平蔵が、父親の甘さで、ついつい辰蔵の尾行が成功していたとおもいこんでいたから、

(遅れをとってしまった・・・・・)

 ことになる。

 

 つぎの日の午後・・・・・。

 市ヶ谷の坪井道場からの帰りに、辰蔵が役宅へ立ち寄り、

「父上。かの浪人者は、いかが相なりましたか?」

 居間へあらわれて、寝ころんでいる平蔵に、

「きゃつめは、盗賊でございましたか?」

「む・・・・・」

「で、引っ捕えましたので?」

「逃がした」

「これはなんと・・・・・」


 ひざを叩いた辰蔵がしたり顔で、

「父上にも似合わぬ失態でございましたな」

 いった瞬間に、長谷川平蔵がはね起き、息子の横面をちからまかせになぐりつけ、

「ばかもの!!」

 大喝一声した。

「素人(しろうと)に何がわかる」

 いい捨てて居間を出て行く父の後姿を見送り、二十歳の辰藏が泣きべそをかき、

「ひどい。これは、あまりにもひどすぎる」

と、わめいた。

(七)泥鰌の和助始末

 


 

◆辰藏は十歳の春、市ケ谷に念流の道場をかまえる坪井主水へ入門をした。

 辰藏より三つ年上の阿部弥太郎も同門であって、二人とも、あまり剣術の方の才能はなく、いつまでたっても進歩がない。

 そのかわり、別の道では進みが早く、剣術の稽古なぞ、(そっち退け)にして、女あそびに打ちこんだものである。

(七)隠居金七百両

 


 

 

◆同じ市ヶ谷の坪井主水の道場へ剣術の稽古に通っている平蔵の長男辰藏が、道場の帰りに、よく喜楽煎餅を買って来てくれる。もっともこれは、母の久栄から

「よう気がつきました。父上もさぞ、およろこびであろう」

 などとほめられたあげく、小づかいをせしめるのが、真の目的なのである。

(九)狐雨

 

 

 

◆そうした或日の昼下りに・・・・・。

 悪友・阿部弥太郎が、目白台の屋敷へ辰蔵を訪ねると、辰蔵は部屋の中へ、ぐったりと身を横たえ、

「弥太郎。な、何をしに来た?」

「それよりも、どうしたのだ。瘤(こぶ)だらけ傷だらけではないか」

「毎朝、暗いうちに役宅へ行っている。毎朝だ、毎朝・・・・・」

「な、何をしに?」

「父上に稽古をつけて、もらっているのだ」

「へへえ・・・・・」

「いや、もう、実に、ひどい目にあっている。これも、おれの不徳のいたすところだよ」


「いやに、神妙ではないか・・・・・」

「なぐりつけられ、蹴倒され・・・・・いや、もう今度こそ、おれは、あの父上なる人物が、いかに強いことか、身にしみてわかった・・・・・」

「まあ、いい。とにかく出よう。今日はな、母上から少々、小づかいをせびって来たのだ。よろこべよ、辰蔵さん。さ、行こう。白粉(おしろい)の匂いを嗅(か)ぎにさ」

「だめだ」

「なぜ?」


「そんな元気はない。明日も暗いうちに、役宅へ行かねばならぬ」

「そんなに、ひどいのか?」

「ひどいも何も・・・・・」

「そういえば、顔色も冴(さ)えぬな。痩せたぞ」

「この顔色が冴えてくるまで、毎朝来いという、父上の強(きつ)いおことばだよ」

「ふうん。可哀相に・・・・・」

「ああ、まったく・・・・・」

「とにかく、顔色がよくない」

「おれの脂っ気は、いま、父上が、みんな吸い取ってしまった・・・・・」

(十)追跡

 

 

 

◆じろりとにらまれて、くびをすくめた息子の前へ、長谷川平蔵の手もとから、きらりと光って飛んで来たものがある。

 小判一両であった。

「ち、父上。これは・・・・・」

「取って置け。母上には内密だぞ」

「で、では、あの・・・・・」

「片がついたわ」 

 庭に蝉が鳴きこめている。

 辰藏はいそいそと小判をふところへしまいこんでから、寝そべった父の傍へ行き、腰をもみはじめた。 

(十二)白蝮

 

 

 

◆「父上、母上・・・・・」

「なんだ?」

「どうか、仲よく御保養を・・・・・ついでに、へへ、へ・・・・・ついでに、もうひとり、弟か妹をおつくりになっては如何で」

 久栄が

「まあ、何ということを・・・・・」

 おもわず道中杖を振りあげた手をとめた平蔵が、

「馬鹿息子には、つける薬がないわ。ほうっておけ」

「なれど、あまりに・・・・・」

「さ、まいれ、まいれ」

 品川宿の方へ遠去(とおざ)かって行く平蔵一行を見送るうち、なんと辰蔵め、両眼へ熱いものをため、それがいまにも頬をつたいそうになっているではないか。

(十二)二人女房

 

 

 

◆父・平蔵が盗賊改方に任じ、母と共に清水門外の役宅で暮すようになってから、辰藏は目白台の私邸の留守をうけたまわり、末妹の清、用人の松浦与助、二人の家来、小者、下女などと共にくらしている。

(十三)夜針の音松

 

 

 

とんでもないことになった・・・・・」

 あわてたのは、平蔵の長男で私邸に留守居をしながら、おもう存分に羽をのばしていた辰蔵で、

「おれの目の黒いうちに、すこしは鍛えておいてやろう」

 と、このところ毎朝、庭へ引き出されては木太刀をつかまされる。

 近ごろは稽古にも熱心で、市ヶ谷の坪井主水道場へ通いつめている辰藏なのだが、まだまだ父親には歯が立たぬ。

「これを見ろ、たまったものではない」

 と、辰蔵は昨日も暇をぬすんで高田四家町に住む旗本・阿部亀七郎の次男・弥太郎を訪ね、右腕をまくって見せた。

 

 父・平蔵の木太刀に打たれた痕(あと)が紫色に腫(は)れあがっている。

「や、ひどいな」

「腕だけじゃない。躰中、これだよ」

「たまらぬね」

「父上がな、こういわれたよ」

「何と?」

「わしが屋敷にいるうちに、阿部のせがれもつれてまいれ。お前といっしょに稽古をつけてやる、とな」

「うへ・・・・・」

 阿部弥太郎が頭を抱えて、

「桑原、桑原・・・・・」

(十五)特別長篇 雲竜剣 赤い空

 

 

 

◆(おれの若いころに似て、手がつけられぬ・・・・・)

 などとおもっていた長谷川平蔵だが、ちかごろの辰蔵については、

(あのようなやつでも、すこしずつ、大人びてまいったようだな・・・・・)

 ふと、うれしげな微笑が浮かぶこともないではない。

「ま、ここへ来い」

「は・・・・・」

「ひとつ、のめ」

「かたじけなく・・・・・」

「どうじゃ、道場へかよっておるか?」

「私も、日々、出精しております」
「ご苦労だな」

「はい」

 

 にこりともせずに、ぬけぬけとした顔をしている辰蔵なのだ。

「片山、金子の二同心が殺害されましたそうで・・・・・」

「うむ」

「何なりと、おおせつけ下さいますよう」

「そうか、いのちがけでやってくれるか?」

 辰蔵が途端に目を白黒させ、

「いのちがけで・・・・・?」

「うむ。ちちのいのちも危いほどなのじゃ。共にはたらいて、いざともなれば共に死のう。どうじゃ?」

「は・・・・・」

 盃を膳の上へ置き、辰蔵が目を伏せた。

 

 じろりと、これを見やった平蔵が、

「どうじゃ?」

「は・・・・・」

ではない。しっかりとこたえろ、父と共に死ぬるか、どうじゃ?」

「はあ・・・・・」

「いま、死ぬるが嫌なのか?」

「はい」

 と、辰蔵が、はっきりこたえた。

 あまりにも正直な倅(せがれ)に、平蔵はおもわず、ぷっと吹き出しかけたが、吹き出してしまっては父親の威厳も何もあったものではない。

「おのれ!!」

 腰をのばし、いきなり、辰蔵の顔を張り撲った。

(十五)特別長篇 雲竜剣 落ち鱸

 

 

 

◆庭の一隅から、突然、人影が走り出て、

「父上。御助勢!!」

 と、叫んだ。

 なんと、辰蔵ではないか。

 辰蔵は走りかかって、いきなり、浪人の一人を斬ってたおしたものである。

「ち、父上、仕とめました、仕とめました」

 呼ばわりつつ、枝折戸の向うから辰蔵が、庭へ入って来た。


「おのれ、何して此処へまいった?」

「昨夜より、父上のおあとを慕いまして、このあたりに潜(ひそ)みおりました」

「ふうむ・・・・・」

「父上・・・・・」

「何じゃ?」

「これにて、辰蔵が切腹のこと、おゆるし下されましょうや?」

「ばかもの」

 叱りつけたが、平蔵の目は笑っている。

(十五)特別長篇 雲竜剣 秋天清々

 

 

 

◆そのころ・・・・・。

 市ヶ谷の坪井道場から目白台の屋敷へ帰ってきた辰蔵は、父の平蔵が屋敷へあらわれなかったと聞いて、

「おのれ、阿部弥太郎め。よくも、おれを騙したな。おぼえていろ」

 しきりに、口惜しがっている。

 

               ◇


 それから半刻ほど後に、目白の私邸の一間で眠りこけている長谷川辰藏は、突然、尻のあたりを蹴飛ばされ、

「な、何だ、何をする・・・・・」

 おどろいて起き、

「あっ・・・・・」

 目の前の人を見上げて、目を白黒させた。

 父の平蔵が、帷子(かたびら)に返り血を浴びた物凄い姿で立ちはだかっているではないか。

「ち、父上・・・・・」

「おのれ。この時刻に、まだ惰眠(だみん)をむさぼっておるのか!!」

「いえ、あの・・・・・」

「立て。今日は、おのれの腰が抜けるほどに、はたらかせてくれる」 

 すぐさま辰藏は、私邸へ運び込まれた滝口丈助の遺体を清めることを命じられた。

(十八)おれの弟

 

 

 

◆今日から細川峯太郎は、平蔵の命令によって、市ヶ谷の坪井主水の道場へ通い、剣術の修行をすることになった。

 いうまでもなく、平蔵の長男・長谷川辰藏は、いま、坪井道場の四天王などとよばれるほどの腕前になり

「よいか。お前にあずけるから、細川をみっちりと鍛えてやれ」

 父の平蔵にいわれ、

「ま、おまかせ下さい」

  にんまりと笑ったものだが、その辰藏が、初日の稽古から、よほどに手荒くあつかったらしい。

 

 細川峯太郎は、頭を瘤(こぶ)だらけにし、何処かで買った杖にすがり、腰や脚の痛みを堪えつつ、役宅へ出勤してきた。

 早朝に組屋敷を出て道場へ行き、稽古をすませてから昼前に役宅へ出勤し、勘定方のつとめをすることになっているのだ。

(ああ、もう、だめだ。こんなことをしていたら殺されてしまう。辰藏様もひどいお方だ。何も、あんなに叩きのめさなくともいいではないか)

(二十一)泣き男

 

 

 

◆この日も辰蔵は、みっちりと稽古にはげみ、水を浴びて汗をながし、

(ああ、毎日のことながら、稽古帰りはたまらぬ心地がするなあ)

 爽快そのものの面持(おもも)ちで、坪井道場を出たのである。

 以前は、明るいうちに稽古を切りあげていたのだが、このごろは稽古をするのがおもしろくなり、いつの間にか夕暮れになってしまうのだ。こうしたときには、当人の技倆(ぎりょう)が目ざましく伸び進んでいるときで、自信もつく。

 辰蔵は馬場の西側を抜け、木立に囲まれた急な坂道を北へ下って行ったわけだが、

(はて・・・・・?) 

 坂道を下りきったとき、何とも知れぬ物の気配を背後に感じた。

 

(おれの気の所為か・・・・・) 

 また歩みはじめたが、辰藏は油断をしなかった。先日、父の組下の与力・秋本源蔵が暗殺され、盗賊改方が非常態勢に入ったことは辰藏にも知らせがとどいていた。

 坂を下ると、川があり、姿見橋(すがたみのはし)という土橋が架かっている。長さ七、八間(けん)の、この橋をわたり、坂道を上って行けば目白台へ出る。

 長谷川辰蔵が、山形になっている姿見橋の中程まで来たとき、突如、背後の闇が激しく揺れうごいた。

 音もなく背後に迫っていた曲者がひとり、声もかけず、突風のように辰蔵へ襲いかかったのである。

 辰蔵の提灯が宙に飛んだ。

(二十二)妙法寺の九十郎


 

 

◆長谷川平蔵の長男・辰藏が、十五夜の月見にあらわれて以来、目白台の私邸へは帰らず、ずっと役宅にとどまり、父母と共に暮しはじめたのである。
(二十三)特別長編 炎の色 盗みの季節

 

 


◆翌日は、朝から曇っていた。

 長谷川平蔵の長男・辰蔵が役宅の裏門から出て行ったのは六ッ半(午前七時)ごろで、辰蔵は昼前に一度、父・平蔵の居間へ入り、何事か打ち合わせをしていたが、ややあって引き下り、母・久栄の部屋で昼餉をとった。

 そのときの、辰蔵の食欲といったら、すさまじいもので、飯を十回もおかわりをした。

 久栄が呆(あき)れて、

「辰蔵、そのように、あさましく食べると、お腹をこわしますよ」

「かまいませぬ。父上から、おゆるしが出ているのです」

「まあ・・・・・・」

 

「母上。私は朝から何も腹の中へ入っていないのです」

「辰蔵」

「はい」

「何ぞ、急変の事でも起ったのですか?」

「さあ・・・・・・私には、よくわかりませぬ」

「なれど、役宅の内がさわがしく、ただならぬ様子ではありませぬか」

「あれは昨夜、千住で二度も放火がありましたので、みなみな、千住へ出張ったのですよ」

(二十三)特別長編 炎の色 押し込みの夜
 

 

 

◆同心の沢田小平次を呼び、半刻(一時間)ほど打ち合わせをすませてから、

「すまぬが、これから、目白台の私邸(やしき)へ行き、倅(せがれ)の辰蔵へ、急ぎまいるよう、つたえてもらいたい」

「かしこまりました」

 倅の辰蔵があらわれると、

「めずらしく、目白にいたな。それとも、昼遊びは、もう済んだのか?」

「父上。いまだに、私のことをさように・・・・・・」

「ちがうか?」

 

「いまの辰蔵は、むかしの辰蔵ではありませぬ」

 辰蔵は憤然(ふんぜん)として、いいはなった。

「うふ、ふふ・・・・・・まあ、怒るな。ともあれ、お前の差料(さしりょう)を見せろ」

 辰蔵が大刀を差し出すと、平蔵は、しずかに抜きはらって、刀身に見入った。この大刀は、平蔵がゆずりわたした加賀守貞則(かがのかみさだのり)二尺五寸一分の銘刀(めいとう)である。

「ふむ。よく手入れをしてあるな。感心、感心」

 

 平蔵がにやりとして、

「この刀は、わしには長すぎる。お前には、ちょうどよいであろう。どうじゃ?」

「はい」

 しかし、平蔵の長男・辰藏のみは、ひとりきりで奥庭へあらわれ真剣をふるい、高杉一刀流の型をつかっている。

 平蔵が、この倅につたえた高杉一刀流の型は夢想返(むそうがえ)し、円腰(えんよう)、捨心(しゃしん)など二十八もあって、これを若い辰藏が全身のちからをこめ、繰り返しているうちに、満身汗まみれとなる。

 それが終ると水を浴(あ)びて汗をながし、飯を六、七杯も食べる長谷川辰蔵なのである。

 

                ◇

 

「おい、平六」

 声をかけ、奥庭の方からぬっとあらわれた男が、

「閂(かんぬき)を外し、門を八文字(はちもんじ)に開けろ」

 といった。

 これが、長谷川辰蔵だったのにもおどろいた平六だが、その背後から同心筆頭の酒井祐助、沢田小平次、松永弥四郎、与力・小林金弥の四名が襷(たすき)・鉢巻の身支度で出て来たのには、まったく肝をつぶした。

「あ、あの・・・・・・」

 平六は、今夜のことは何も知らない。他の小者、女中たちも知らされていなかった。

 

「平六、早く開けぬか」 

「はい、はい」

 音をたてて、裏門の扉が開かれた。

 これには、八人の盗賊浪人どもも、おどろいたろう。

 おもわず、はっと立ちすくむ八人のうち、二人が、いつの間にか松明(たいまつ)に火をつけていた。

 辰蔵が門の際(きわ)まで、すすみ出て、

「鼠賊(そぞく)ども」

 呼びかけておいて、父・平蔵からゆずりうけた加賀守貞則の銘刀をゆっくりと抜きはなち、

「いずれも、よく、首を洗って来たか」

 と、このあたりは父親ゆずりで、にやりと笑った。

 

 盗賊改方・門番小屋は燃えあがったけれども、大事に至らなかった。平六その他の小者たちが消しとめてしまったからだ。

 その燃えあがった炎のあかるさによって、斬られなかった浪人たち三名も、逃げきれなかった。

 雪は霏々(ひひ)として、降りしきっている。

 その暗い空を見あげながら、

「各々方(おのおのがた)、御苦労でした」

 頭を下げた長谷川辰蔵が、貞則の一刀にぬぐいをかけつつ、

「ま、中へ入って、熱い酒(の)をやりましょう」

 と、いった。

(二十四)特別長編 誘拐 ふたり五郎蔵

 

 

 

長谷川辰蔵に関わる者

 

阿部弥太郎

・辰蔵の女遊びは、いまも熄(や)んだわけではないが、かの悪友・阿部弥太郎の父が急死したため、弥太郎が跡を継ぎ、妻をむかえてしまった。

(二十二)法妙寺の九十郎

 

佐嶋忠介

・佐嶋忠介が辰蔵の右腕を両手につかみ、

「くれぐれも気をつけて下さるよう。ようございますか。長谷川平蔵様にとって、あなたさまは、かけ替えのない御嫡男ゆえ、くれぐれも・・・・・」

(二十二)法妙寺の九十郎

 

坪井主水

・「ちかごろの、辰蔵の進境にはおどろき入る」

 ひそかに洩らしている。

(二十二)法妙寺の九十郎

 

 

長谷川平蔵

・「あの莫迦息子も、十何年かかって、ようやく剣術だけは物になりそうな・・・・・」

 平蔵は、まんざら悪い気持ちではないらしい。

(二十二)法妙寺の九十郎

 

 

久栄(母)

この様子を聞いて、久栄も今度は、道楽息子を見直したかのようで、

(そろそろ、辰蔵にも嫁を・・・・・・)

 などと、病床(びょうしょう)の中で考えたりしているようだ。

(二十四)ふたり五郎蔵

 

 

平六

・中間の平六は、念のために門番小屋へもどり、小窓の戸を開け、外を見た。

(二十四)ふたり五郎蔵