≪第9シリーズ≫ 第1話 スペシャル大川の隠居≪其の壱≫


元盗賊の老船頭、浜崎の友蔵。

            凶悪な盗賊一味に目を付けられーーー


 舟釣りを楽しんでいた平蔵は、千住節をうなる老船頭を見掛ける。彼の正体は、元盗賊・浜崎の友蔵。いまはお盗めを引退(しりぞ)いていた友蔵だが、しゃれっけで平蔵の寝所に忍び込み、亡父・宣雄の形見の煙管(きせる)を盗み出す。はからずもこの件を知った平蔵は、粂八とともに一計を案じ煙管を取り戻そうと画策。一方、流れ盗めの女賊・搔堀(かいぼり)のおけいの仲介で、上方の大盗賊・生駒の仙右衛門と、鹿山の市之助の盗賊らが共謀し、怪しい動きを見せていた。





”小江戸”として栄えた、武州川越


江戸の北を守る要


 本作に登場する浜崎の友蔵は、武州(現在の東京都、埼玉県、神奈川県北東部あたり。武蔵国とも)の生まれで、盗賊になる前は川越の船頭だったという。また、盗賊・鹿山の市之助一味の盗人宿も川越にあった。当時の川越はどのような町だったのだろうか。


 川越は、室町時代の武将・太田道真と道灌の父子が川越城を築いて以来、城下町として栄えていた。そこを”江戸の北を守る要”として重視したのが徳川家康だ。江戸以北の大名や古来より豪勇で知られた武州の武士が謀反を起こした場合に備え、これを川越で食い止めるつもりでいたのだろう。家康は天正18年(1590)、腹心の部下・酒井重忠に川越城とその周辺の領地を与えて川越藩を立藩。そして、家康亡き後も、幕府は川越藩主に代々、幕府の要職にあった親藩(しんぱん)・譜代大名ばかりを任命。おかげで、川越は江戸時代に急速に発展する。


 なかでも、寛永16年(1639)に藩主となった松平信綱(のぶつな)の功績は大きい。3代将軍・家光の幕政を支え、賢明さゆえに”知恵伊豆”(伊豆は信綱の官職名・伊豆守から)と呼ばれた信綱は、藩内を流れる新河岸川(しんがしがわ)の流れを舟が運航しやすいように改修し、同時に舟の発着所である河岸場(かしば)を新設した。これにより、関東一円の物資が川越に集まるようになり、川越は一大流通都市へと成長したのである。




繁栄をもたらした舟運(しゅううん)


 信綱が開いた新河岸川(しんがしがわ)の舟路は、川越を出発して荒川に合流し、花川戸(現・東京都台東区)が終点だった。その距離およそ30里(約120㎞)。舟には「並舟」、「早舟」、「急舟」、「飛切舟」があり、一番速い「飛切舟」は川越を出発した翌日には再び川越に戻ったという。江戸へ送るものは「下り荷」と呼ばれ、年貢米や農産物が中心。一方、江戸からの「上り荷」は砂糖、醤油、塩などの調味料に魚、反物、肥料などの日用品が主だったようだ。


 新河岸川だけで20以上あった河岸場(かしば)には昼夜の別なく舟が出入りし、近辺には船問屋や商家が軒を連ねていて日々、活況を呈していたという。こうした機運に乗って、ひと財産築いた川越商人も多い。その好例が横田五郎兵衛だ。当地で米穀問屋や金融業を営んでいた五郎兵衛は、江戸末期の長者番付において、関東(江戸を除く)の豪商200人のうち、見事”東の横綱”の座に輝いている。




江戸の影響を受けた”小江戸”


 横田をはじめとする川越の商人たちは、