「あーー、ここのコハダやっぱ美味いなぁ…」
3年ぶりにお会いしたAさんの足取りはおぼつかなかったものの、声ははっきりとしていた。
体重も食欲も以前に比べ落ちた。ビールもグラス1/3までに今は制限しているらしい。でも、お寿司を口に含んだ瞬間、彼の口元は緩み、満面の笑みになった。
医師として心がいっぱいになる瞬間だ。
三年ぶりの再会。覚えていてくれて嬉しかった!
救急医として働いていると退院まで患者をみることは多くない。生死をさまよう急性期をすぎると各専門科にバトンタッチするためだ。今の仕事も海外から患者さんが帰国した瞬間に接点がなくなるので同じだ。だから、なおさらこの一言を聞けて感動もひとしおだった。
彼は3年前、インドネシア僻地から船で数時間沖ににでた先でダイビング中に病気を発症した。岸まで運ばれるのに数時間、運ばれた病院も最低限の治療がやっとできる病院だった。もちろんCTはなく、点滴と酸素のみ投与されている状況であった。
酸素ボンベとベットだけある病室。もちろんモニターはつけられていない。
当時シンガポールで働いていた僕が、医療専用機で迎えにいったのは発症翌々日のこと。週末を挟んだこともあり、機体を確保したり、当局から離着陸許可をとるのに時間を要したこともあるが、飛行時間も相当長かった。「インドネシアはなんて東西に長い国なんだ!?」と、時計とにらめっこし、ヤキモキしながら飛んだことを今でも覚えている。
救急車はストレッチャーがあるだけ。酸素やAED、モニター、吸引器は全て自前でエスコートチームが持ち込みする。
Golden Hourには間に合わなかったが、シンガポールでは必要な検査と治療が効率よく進んだ。幸い重大な後遺症は残らず、しばらくしたあと帰国し療養を続けた。
「その後、リハビリして元気にやっているのかな?」
ずっと気になっていた。ご縁があり、当時Aさんの病床にずっと付き添ってくれた方と会うことになり、これまた偶然にAさんからも連絡がきたのだという。3年ぶりの再会。オフィスにいらして頂き、医療アシスタンスについて説明をさせてもらった。
『いのちをつなぐ』
色々なかたちで関われていることに感謝!!
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