メルハバ!!

いらっしゃいませー♪

31年間のサンフランシスコ・ベイエリアでの暮らしを卒業。

岐阜に戻り年金生活をスタート、3年目に入りました竜桃ママです。

 

トルコ旅行記を投稿しています。

私たちはトルコの文化に興味があってイスタンブール市内に10日滞在しました。

そのほかに、パムッカレに行きたくて1週間の周遊ツアーに参加しました。

 

このツアーでは一番の遠距離になるカッパドキアでの記事です。

 

ホテルのニャンコとお別れの朝です。

 

カッパドキア、残された多少の名所を回り

見た通りの「ラクダ岩」右側に2頭目、3頭目もできつつありますね。

 

そして皆様はトルコ石のショールームへ誘導されて行きました。

私たちはタイルを外壁に貼ろうと思っていたので、タイル屋を紹介してもらいました。

ところが、そこにあったのは高価過ぎるイズニックタイルと陶芸品。

良いものを観てしまうと、ポリシーが変わってしまう私。

必要ではないものを購入してしまいました。

ワインもお酒も無しで(笑)

このタイルの顛末は後で記事にします。

 

一路、アンカラに向かいます。

途中、大塩湖「トゥズ湖」へ、地面は全部お塩です!

気づけば、痛めた方の足で支えてる! 

ほぼ治ったって感じですね♪

 

アンカラではアタチュルク霊廟へ。

 

アタチュルクはトルコ建国の父です。

ここからは歴史のお話。

トルコの歴史は知らなかったけれど、かつてオスマン帝国だったことは分かっています。

 

************************************************

オスマン帝国は第一次世界大戦中東戦線では敗戦国と見なされ、
イスタンブールは連合国、コンヤとアンタルヤはイタリア、キリキア地方はフランス、

イズミールはギリシャに占領されてオスマン帝国は実質的に滅亡状態となってしまいました。
 

オスマン帝国は衰微の一途をたどっており帝国解体の危機にあるにもかかわらず、

当時の皇帝は外国の支配下に入ってもいいと考える無力な人でしかありませんでした。

アタチュルクは、祖国を開放する徹底抗戦を行うため、イスタンブールにて愛国家の将校達と密かに集結し綿密に計画をします。
第一次世界大戦の翌年1919年5月19日に侵略した連合軍に対する各地の抵抗組織を終結させた「アナトリア・ルメリ攻防権利委員会」を結成し、連合国軍からの真の独立を求め挙兵します。
これがトルコ独立戦争の幕開けとなり、アタュルク率いるトルコ軍は欧州各国軍と3年間に渡り戦い続けます。

1920年8月オスマン政府は、帝国領土のほとんどの部分を失うとともに、ほぼ帝国解体を意味する内容のセーヴル条約を連合国と結んでしまいます。アタチュルク軍はこれに反対し、独自の方法で国土を攻防する為に疾走します。
1922年ギリシャ軍を破りイズミール奪還に成功したことをきっかけに国土のほとんどを取り返すことに成功します。
同年10月に各国との停戦協定であるローザンヌ条約を結び、漸くトルコ独立戦争が終結しトルコの平和を回復することに成功しました。

1923年10月29日月曜日午後8時半に共和国が宣言され、ここにトルコ共和国が成立。アタチュルクは選挙で大統領に就任します。

*********************************************

今から100年前のお話でした。

 

アンカラからは飛行機でイスタンブールに戻ります。

イスタンブール空港でその日、日本に帰る一部のメンバーとお別れ。

とっても名残惜しいお別れでした。

残ったメンバーでホテルに戻った時には夜中になっていました。

翌日、メンバーとの最後の日は、、、、

最初に戻ってイスタンブールのモスク周り

チャイ売りも面白い♪

(1054) イスタンブールのチャイ売り - YouTube

 

この先は以前の記事に戻ります。

戻ってイスタンブ〜〜ル♪ (10/4) / トルコ⑧ | 竜桃プロジェクト (ameblo.jp)

 

そしてそのあと、1週間追加のイスタンブールを過ごして日本に帰ることになります。