いらっしゃいませー♪
31年間のサンフランシスコ・ベイエリアでの暮らしを卒業。
岐阜に戻り年金生活ををスタートいたしました竜桃ママです。
この記事ではブログを始める前の思い出のエピソードをまとめています。
この記事は2度目のオーストラリアとなりました1983年の旅日記になります。
ドイツ人のマルティナのお話をして
ドイツ人のキャンピングツアーのことを思い出しました。
いつかしら私たちのキャンピングバスと同じコースを並走するオレンジ色のメルセデス・バス。
彼らはいちいちテントを張らず、
カプセルホテルのようなものがくっついたバスでオーストラリアを一周してました。
ドイツからバスごとタンカーに乗ってシドニー港に到着、そしてそのまま走り出したのだそうです。
ドイツ製車のドイツ人ドライバーであるということが誇りなのだそうです。
でも後ろに大きく貼られているのは「Caution! Left side driver」。
日本やオーストラリアとは逆なのでねー、不安な気持ちが隠せませんね。
12時15分前になった途端にバスが停まり、12時にランチが始まります。
これはいつもキッカリです。
砂塵舞う舗装されていない道路の脇に広げます。
横道に入って予定がずれていかないように、、、だそうです。
でも食事に砂利が混じりそうです。
夜もバスの中の移動でベッドに向かうだけ。
観光地以外、外に出ることもキャンプファイヤーもなし。
そして朝は6時キッカリに朝を食べ、7時キッカリに出発です。
小川のせせらぎを聴いたり、豊かな木陰で癒されなくても
彼らの満足はキッチリ予定通りに進むこと!
さて、
旅も後半、ひたすら帰り道へと南下します。
こうしてグーグルマップで見るとブリスベンまで20時間の移動。
多分、途中どっかで一泊していると思うんですけど、全く記憶がない。
でも隣に座ったアメリカ人のことは忘れない!
名前は聞きもしなかったけど長い金髪で、背も高かった。
まず、禁煙席、喫煙席について文句。
今にしてみればおかしい話だけど長距離バスの中は右側が喫煙席
左半分が禁煙席だったのね。日本ではまだ禁煙席がなかったころのお話だ。
当たり前のように(アメリカ人なので)
「頭おかしいんじゃないの?隣が吸ってるじゃん!煙りくるじゃん!」とドライバーに抗議。
まだ寒いのに前後左右の席の人の窓を開けさせ、(夜中です)
うるさいと周りから窘められてもメゲマセン。スチュー〇ットを繰り返します。
やっと落ち着いたかと思ったら、窮屈で眠れないと。
じゃぁ交代でバスの床とシートに分かれて寝ようと提案した。
ほう、それはいいねー、すぐに交代するからね。
まず、私が床にブランケットを敷き寝転がります。
バスの振動とヒーターの暖かさが心地よく悪くはなかったです。
でも、私ばかりが下では不公平。交代は彼女が望んだことだしね。
彼女は起きていてシートに寝転がったまま本を読んでいた。
「下じゃ暗くて本が読めないの、あんたは寝るんからいいじゃないよ」
ほら来た!やっぱしだ!
注目を浴びていたせいか、降りるときに周りのオーストラリア人たちから
「よく耐えた!あれだからアメリカ人は嫌われるんだよ」と声援をいただきました。