いらっしゃいませー♪
31年間のサンフランシスコ・ベイエリアでの暮らしを卒業。
岐阜に戻り年金生活ををスタートいたしました竜桃ママです。
この記事ではブログを始める前の思い出のエピソードをまとめています。
この記事は2度目のオーストラリアとなりました1983年の旅日記になります。
ドライバー交替と乗り換えバス待機機のためマウント・アイザという街で停車。
ゆっくり時間がある乗客のため工場見学の無料バスが出ています。
マウント・アイザからの私の隣の席はドイツ人の女性に予約されていました。
長距離バスは、カップルでない限り男女を同席にはしません。
さらに禁煙席、喫煙席とあるので、席が空いていても満席になる可能性があります。
マルティナと私はまず、自分たちの旅の情報を交換します。
ケアンズで泊まるところ、観光するところ。
ふたりとも決まっていません。
安くするために一緒に泊まることにしました。
両方のガイドブックにあった宿泊リスト
ケアンズに着いた時点で二人で歩いて潰してゆきました。
決めたのは共同キッチン、ダイニング付きのホテル???
私の「地球の歩き方」の情報のほうがドイツのより安く
1泊7ドルで二人部屋が取れました♪
この安宿は長期滞在者のためにあります。
いつもキッチンでは見知らぬ同士の会話が絶え間なく
冷蔵庫の中はそれぞれのお買い物の名札だらけで。名前も覚えやすい(笑)
お庭もオープンで、わいわいとビールを飲みあったり♪
マルティナは眠れません。
私の荷物が気になって仕方ないからです。
私はラゲージを広げたまま出かけたり、ソファーに小物バッグが置きっぱなし。
マルティナはいつもパスポート、お財布を首からぶら下げたまま、寝る時もです。
ドアの内側のノブに椅子を挟み、さらに勉強机を押して寝ます。
朝起きると、知らぬ間に私の荷物は片付けられて、ベッドの下に押し込まれ
毛布を被せられ、、、、
その上にマルティナが寝て守ってくれてます。
このホテルはオープンだから、泊り客による泥棒に狙われやすい、
知らない者同士、盗んだらそのままいなくなっても分からない。
大丈夫だよ、オーストラリア人はそんなことしない。
ううん、違う、違う、私は分かっているの。
ここにはヨーロッパや中東からの信用できない人たちが泊まってるんだよ。
この会話、すべて辞書を通じて行われています(笑)
私のコンサイスの辞書にマルティナが指を差す。
私は和英で指を差す。
マルティナは独英で探す。
これが意外とスムースなんです。
お互い多少の英語も喋れます。
とっても初歩的な簡単な英語です。
だからとっても伝わりやすい(笑)
それぞれ別方向に朝出かけて夕方帰ってくる毎日で
私は5日間の滞在のうちで3つの島を訪れました。
マルティナはインターナショナル・ダイビング・インストラクターのライセンスを取りたいみたいで
ケアンズのスクールを回っていました。
クラスのスタートが自分の予定に合うものがなかなか見つからないようでした。
そんな中、思い出のため一緒に一日観光に出かけました。
海ばかりいたので山に向かいたいと♪
貴重品を持ち歩くマルティナと
貴重品持たされて歩く私です。
マルティナとはその後、2年ほど手紙のやり取りをしました。