いらっしゃいませー♪

31年間のサンフランシスコ・ベイエリアでの暮らしを卒業。

岐阜に戻り年金生活ををスタートいたしました竜桃ママです。

 

この記事ではブログを始める前の思い出のエピソードをまとめています。

とりわけ私の分岐点となった1982年のお話になります。

 

南島のピクトン港から北島の首都ウエリントンまでは

フェリーで3~4時間くらいだったと思いますが

丁度その海峡の真ん中で、海の色が真っ二つに分かれていました。

南島側は寒流の藍色、北島側は明るい緑を帯びた暖流。

 

北島に入ったとたんに、山岳地帯ではなく、緩やかな丘陵地帯に変わります。

また地熱発電、温泉の多い地域でもあります。

北と南でこんなに違うものかと驚きのニュージーランドです。

 

ティッシュペーパーの名前になったネピアを通過。

事実、ここは日本向けにパルプを輸出しています。

 

ネピアからロトルアに入ります。

 

 

ここでは、マオリ族の村で泊まることになってます。

前日より、マオリの村でのルールをきっちり教え込まれてました。

歓迎の儀式は、歓迎だけではなく威嚇もあり

実に妙ちくりんなものだけど、絶対に笑ってはいけないこと。

その村に入るための問答があり、私達が敵ではないと知ったら

今度は「キオラ!」と言って鼻キッスをしなければいけないこと。

その時に嫌なそぶりをしてはいけないことなど、諸々。

 

そしてその通り、儀式はお腹を抱えたいほど可笑しく、、、

ここからはグーグルさんの写真を借りました。

とてもそんな雰囲気ではなく、実際に私のカメラには一枚もなかったシーンです。

ウッハッハ、ウッハッハ!胸が躍るほどに男性の強さを感じます。

「やっぱり、男はこうじゃなくっちゃ!」

この日から私と前田さんの男性観はガラリと変わりました。

早速マオリ族のハカ(戦意)とポフィリ(歓迎)のカセットテープを購入(笑)

 

そして儀式が終わり「キオラ!」と言って鼻キッス。

私の場合、顔中タトゥーの爺さんだった。やっぱ逃げ出したくなる。

 

そしてやっと村に入ります。

 

その夜の食事はマオリのお母さんのお手伝いをして

家族と一緒に食べます。

丁度、ケンブリッジに留学していた長男さんと、次男さんも帰ってらしていて

料理は観光用+普段の料理も食べることができました。

 

マオリ族の伝統を守るお仕事をしているおかげで

子供たちは奨学金で英国の大学に行けるのだそうです。

 

食後も儀式は続きます。

今度は室内舞台に入り、ポリネシアン・コーラスが始まります。

美しいコーラスを聴いた後は

こちら側にも一宿一飯のお礼の儀式があります。

 

殆どのメンバーがオーストラリア人ですので

お返しの歌をオーストラリアの「ウオーシング・マチルダ」と決めてあって

私達は3日前からバスの中で特訓を受けたんです。

 

 

そこでハプニング発生!

なんと、マオリの家族が突然、日本語で「瀬戸の花嫁」を唄った!

しかもぞーっとするほど、上手いのだ!

 

そこで、「この歌のお礼の歌を歌ってほしい」と突然こっちに振ってきた。

ドライバーが余計なことに、日本人がいるということを告げたのだ。

 

「おい、おい、聞いてないよ!」

5人いるのだから、全員、今すぐ歌える歌じゃないといけない。

「君が代かい?」いや、そりゃー暗いだろ。

 

私と前田さんでほぼ同時に思いついた曲。

それがタイトルの「ソーラン節」です。

振りを打ちあわせして、一発本番!

 

3人が嫌がったので二人だけで登場、

「ヤーレン、ソーラン、、、」と歌いだし

「アー、ドッコイショ、ドッコイショ!」をローマ字で書いて渡し

メンバー全員に合いの手で入れてもらう。

 

スッゴク、受けた♪

振りも、マオリ族に対して応える感じもいいし、

大声も出る、自分たちもどんどんのってくる。

 

後日談になるが、それ以降のバスの中では

みんなが「ソーラン節」を唄った(笑)

メンバーも気に入ったようだ♪