いらっしゃいませー♪
31年間のサンフランシスコ・ベイエリアでの暮らしを卒業。
岐阜に戻り年金生活ををスタートいたしました竜桃ママです。
この記事ではブログを始める前の思い出のエピソードをまとめています。
とりわけ私の分岐点となった1982年のお話になります。
この時のツアーには
他に大阪からの女子教員3人組がいました。
40名のうち5名が日本人と言うのもかなりの確率ですよね、
アジアで唯一、先進国となりつつあった頃です。
当時、中国人、韓国人は空港でも見かけませんでした。
キャンピングツアーと銘打っていたものの、実際はキャラバン・パークのコテージ泊まり。
もっとハードな物を経験したかったためちょっとだけ失望しましたが、
友人連れでもありますし、逆に安心して楽しめました。
他はお近くのオーストラリア人が殆ど。カナダ人も数人いました。
さて、そのキャラバンパークです。ホリディパークとも言われます。
朝早く出発し、夜に着くので当時のカメラでは写しにくく、写真は残っていません。
グーグルさんから記憶に近い画像を探し出しての投稿です。
郊外に広範囲に広がり、中央に大人数用のシャワー、トイレ、お洗濯、キッチンが設けられています。
普通車出来て、そのまま停泊、施設を利用する普通の家族。
キャンピングカーで来て、電気、ガス、水を補給する仲間たち。
宿泊はバンガローを借りてで伸び伸びのひと。
完全なフル装備のホテル・スタイルを選び、テニスコート、プールなどを利用することもできます。
私達はコテージと言うかバンガロー・スタイル。
毎晩、グループごとに順番に違う組み合わせで二段ベッドでした。
毎日、朝起こす役、シーツをたたむ役などをくじ引きしてました(笑)
誰かの(大阪の人たちのうちの一人)目覚まし時計が夜中の3時に鳴りだし
皆が寝ぼけて夜中に続けて朝シャン。
いつまで経っても真っ暗なのに気が付いて、大笑いしたのも思い出です。
朝、昼、晩の食事は集合写真の一番右の女性がクッキングしてくれて
皿洗い、後片付けやごみ捨ては当番が回ってくるので何とかやってました。
クッカーは私達が寝ている間にお昼のサンドイッチを毎日作ってくれてたみたいです。
キッチンはこんな感じです。
一緒に皿洗いしながら、お掃除しながら、
出逢ったばかりの人たちと身振り手振りでおしゃべりしていたのも
楽しい楽しい思い出です。