毎年3月に日本に帰って義理母、智枝子さんに会いに行くのが楽しみでした。
1994年から、ずーっと続いていました。
3年前から歩けなくなり、少し記憶もあやふやになってきたため、施設に入って暮らしていました。
会いに行くと「☆影のワルツ」を歌ってくれて冗談も言う明るい智枝子さんです。
一年に一回の二人だけの昼食会♪
ですが、今年の春はコロナ禍で面会禁止でした。
もちろん義兄も義妹も4か月以上も会えずにいました。
そこへ、突然訃報が、、、まだ寝込んでもいなくて食欲もあったそうです。
夜明けに施設の方が看まわれた時には亡くなっていたそうです。
苦しむ事もなく穏やかに逝ってしまいました。93歳でした。
日本時間の朝5時ころ、義妹から電話を受けて、さっそく帰国準備に!
ですが状況が分からないので領事館に電話をします。
結論から言えば「帰れません」というあちらからの返答。
現在、日本とアメリカ間は渡航禁止です。
主人は10年ほど前にアメリカ国籍を取っています。
帰るには日本からの有効なビザを発行してもらわなければなりません。
まず、医師からの母の死亡判断書を提出、それによりビザの手続きを取ります。
どうでしょう、3日くらいかかるでしょうか?
成田、または羽田にて検査を受け、結果が出るまで空港待機。2~3日は覚悟してくださいとのこと。
結果が陰性だとしても、タクシー、公共機関は使えませんので
実家から誰かに迎えに来てもらわなければならないそうです。
そしてそこでは2週間の外出禁止。
人と接触する可能性のある葬儀には出られるのかな?
なんせ、高齢者ばかりの参列です。
そして2週間経たなければアメリカには戻れません。
こうなると、お役に立てるどころかご迷惑をかけることになります。
結局、サンマテオで、智枝子さんの写真を立て、お花を飾ってのお見送りでした。
そして今週、
カリフォルニア州は、再び店内での飲食やサービスが規制されました。
やっと先週からスタートした旦那の仕事(リタイア後はマッサージ・セラピストになりました)
そのニュースで「やったー♪また休みだ!」と大喜びでした。
雇われの旦那は、失業保険があり、
プラス 5,6,7月分は更に週に600㌦の上乗せが支給されます。
ただし、どこかの国と同じように失業保険の受給手続きは
どどっどおーーーと遅れておりますので、まだもらっておらず。
貰ってもいないまま、サンマテオ郡はそのまま緩和続行となりましたので失業保険は終わりです。
主人の場合、7月いっぱいは失業中のほうがダントツ収入が高いんですが、、、。
しかし、このトランプの大盤振る舞いのツケが我々の公的年金に回ってくるんだとしたら、
いらないなー(泣)