新しい書庫を開けたので
エピソードなども含め順番に思い出の曲などを増やしていきたいと思います。
このブログでいつか紹介したかもしれないけど
 
一人旅の時、機内のお隣のお婆ちゃん、
 
私が何も持ってないので一緒にipadでゲームをしようと誘ってきた、数独であります。
それでいろんな会話が広がります。友達の話やご主人の話などいろいろ。
ですが、もし私もipadやiphoneを使っていたらどうなるでしょう?
何の会話もなかったと思います。
 
人とのコミュニケーションのためにある道具が目の前にある現実を見落とし、
小さな画面の中の世界を現実として暮らしてゆくのです。
隣に座っているのにチャットで会話する恋人たち。
一緒に家族で食事に来てるのに、目を合わせることも会話することもなく
それぞれがそれぞれのスマホの先としか対さない無言の家族。
知らない土地に行っても迷うこともなく、それによる新しい出会いもない。
終いにはアニメの主人公しか愛せなく、スキンシップはペットがいればよい。
 
 
そんなことを考えていたら
45年位前に流行った「西暦2525年」という曲を思い出した。
結構、ぞーっとする。あの当時では思いもつかなかった世界が現実に。
 
 
 
西暦2525年
もし男がまだ生きているなら
もし女が生き長らえるなら わかるだろう

西暦3535年
真実を話す必要はなくなるし 
嘘も話すこともない
考えていること すること 言うことすべてが
今日飲む錠剤の中に入っている

西暦4545年
歯などある必要もなく 目も必要がなくなる
噛まなくてはいけないものはなくなるし
誰も 君なんか見やしない

西暦5555年
腕は 動かず横に垂れたまま
脚は 何もすることがなくなる
機械が代わって やってくれる

西暦6565年
夫など必要としないし 妻も必要としない
息子は拾ってくればいい 娘も拾ってくればいい 長いガラス管の底から

西暦7510年
もし神が来られたら まだ間に合うはずだ
たぶん周りをご覧になり おっしゃるだろう
最後の審判の日が来たのではないかと

西暦8510年
神は知恵に満ちた かぶりをお振りになり
「人類が行きついたところに満足している」とおっしゃるか
それを引き裂き またやり直すか

西暦9595年
どうだろうか まだ人類は生きているだろうか

人類はすべてこの地球の与える物を自分の物にして何も返してはいない