サラマンカの名所はやはりサラマンカ大聖堂とサラマンカ大学でしょう。
サラマンカ大学はヨーロッパ最古の大学のうちの一つです。
(オックスフォード、ケンブリッジ、パリ、ボローニャなどと同じ時期です。)
そしてサラマンカ大聖堂は12世紀に建てられた旧聖堂と16世紀に建てられた新聖堂です。
旧聖堂を増築する形で新聖堂が建てられたため、建物としては一つですが、中はロマネスク様式とゴシック様式の二つに分かれています。


そして、新大聖堂の中央には三台の見事なパイプオルガンがあります。

サラマンカ大聖堂のパイプオルガンと日本の関係を知ったのはほんの一年ほど前。
「アリス・紗良・オットー」のコンサートで岐阜のサラマンカホールに入った時です。
サラマンカホールのある「ふれあい福寿会館」は、
かつて父がボランティアをしていた所。
帰郷の際には父をここに送って行っていたのですが、
中を見たのは初めてでした。
コンサートホールの客席扉には立派なレリーフがあります。
中央はサラマンカ大学、
両端の扉はサラマンカ大聖堂のレリーフのコピーです。
スペインの石職人が現地のビシャマジョール石で3年かけて造りました。
どうしてこういうものがここにあるのか、
どうしてこのホールをサラマンカホールと名付けたのでしょうか?
このエピソードは上の画像の三枚のうち、中央にあるパイプオルガンの話です。
「天使のオルガン」と呼ばれます。


以下の文章は岐阜のサラマンカホールのウェブサイトから抜粋したものです。
いつの日かこのオルガンを自分の手で修復することを夢み、熱心にその可能性を打診したが、国宝級のオルガンを日本人にまかせることには反対が多く許可は下りなかった。
ビクトリアノ神父は大聖堂のオルガンを最も厳しく外部から守ってきた人である。
修復したいという辻氏の願いを真っ先に拒絶し、疑い深く見つめた人であった。しかし、毎年面会を重ねるうちに、信頼と理解を深め、修復反対派の前に立って説得してくれた。そしてビクトリアノ神父は辻氏に1枚のサイン入りの名刺を渡した。「私はこの人にオルガンを扱うすべての許可を与える」
但し、巨額な修復資金はすべて日本側が提供するという難しい条件が付いた。
修復開始から約8ヶ月、1990年3月22日に修復作業が終了。スペイン国営放送と日本のNHKが協力し、修復作業過程を含めた2時間の特別番組を衛星テレビ放送で日本とスペイン語圏各国に同時放送した。
1996年6月、辻宏氏は、スペイン国王ホワン・カルロス1世よりイザベル女王勲章・エンコミエンダ章を授かった。
そして、岐阜出身の私としてはそういうエピソードに触れられたというだけではなく、
とても幸せな気分になるのでした。
