ポルトガルからまたスペインに入ります。
リスボンを出てから立ち寄った場所がファティマという小さな村。
カソリックの人たちにとっては意味のある場所なのだそうです。
ツアーの皆はろうそくを買い、お参りをしていましたが
私たちはもともとここは何なのかがわからないので、カフェに入ってネット検索。
それで知ったのは「ファティアの奇跡」と「ファティマの予言」
まず「ファティマの奇跡」とは・・・・・・・・・・・
1917年ファティマ村の3人の子どもの前に閃光とともにマリアが現れます。
その時にあと5回、毎月13日にここに訪れると告げます。
その後合計6回約束通りマリアが現れました。
40キロも離れたところからでも閃光が確認されたと言われます。
見物人も最後には10万人に膨れ上がり、その当時の写真も報道されています。

ですが、マリアの姿を見ることが出来たのは一番上のルチアだけだったと言われます。
何万もの群衆を前に太陽が狂ったように回転して見えたり、水源のないところから水が湧き、飲む者に奇跡的な治癒があったりしたことから、
バチカンがこの事実を公認しました
この出来事自体が近代のことでもあり、
3人のうち一番年上のルチアが亡くなったのが2005年であることなど、ついこの前の出来事ですね。
ここまでくると、マリアではなく、宇宙人だったのではないかと言う説も出てきます。
ですが、6回のお話しの内容は、ここに教会を建てろとか教えのことばかりであり、
宇宙人がやってきて説いたとは信じがたいのです。
または未来からタイムマシンでやってきたキリスト教の伝道師?・・・・・これは考えられますね。
「ファティマの予言」・・・・・・・・マリアは三つの予言を告げます。
ルチアはマリアとの約束通り一切口外はせずバチカンだけに予言を伝えます。
以下は簡単に説明してある他のサイトからの引用です。
”第一と第二のメッセージ(予言)は、25年後の1942年にバチカンから発表された。第一次世界大戦の終結と第二次世界大戦の勃発に関するもので、いずれも細部にいたることまであまりにもピタリと的中していた。
そこで人々は、第三の予言の発表を待ち望んだ。なぜかこの予言だけは、1960年まで公表してはいけないとメッセージされていたからである。
だが、予言は1960年になっても発表されなかった。
第三の予言を読んだ法王パウロ六世が、内容の重大さにショックを受けて卒倒し、「これは人の目に絶対に触れさせてはならない。私が墓の中まで持っていく」といって、発表を差し止めてしまったからである。
その後も第三の予言は秘密文書として、バチカン宮殿の奥深く、今も厳重に秘匿されており、そのため「ファティマ第三の秘密」ともいわれている。”・・・・・・・・・・・・
だが、予言は1960年になっても発表されなかった。
第三の予言を読んだ法王パウロ六世が、内容の重大さにショックを受けて卒倒し、「これは人の目に絶対に触れさせてはならない。私が墓の中まで持っていく」といって、発表を差し止めてしまったからである。
その後も第三の予言は秘密文書として、バチカン宮殿の奥深く、今も厳重に秘匿されており、そのため「ファティマ第三の秘密」ともいわれている。”・・・・・・・・・・・・
後になってバチカンは第三の予言は教皇暗殺の危機と発表しますが、あまりにも第一と第二に比べて規模が小さすぎますよね。
実際にメッセージを受け取ったルチアが「バチカンが発表した第三の予言はほんの一部分で大部分を隠している」と司法省に提訴しているたという事実もありますが、、、、
ルチアは97歳で息を引き取ります。 なぜ、自分で発表しなかったのでしょうねー、
マリア様との固い約束とは言え、事実を曲げられたのではマリア様も失望するでしょうに。
宗教には全く関心のない私ですが、
ファティマのお店で見つけた小さなマリアと三人の子供の木彫りを買いました。
7センチほどしかないのに手彫りなのだそうです。
エピソードはともかく、なぜか惹かれて「竜」のお土産に♪

