今日は暖かくなりましたね
寒がりの私にとってはありがたいことです
少し前、ある人の怒りのエネルギーを
受け取っていました
その時は怒りのエネルギーだとも、
自分が受け取っているとも思っていませんでした
「どうしているかな」と気になっていながら
「嫌われちゃったかな」と…
え?なぜ?
その発想に我ながら驚きましたが、
先日、その人のその頃の
感情の乱高下を知りまして
「ああ、そのエネルギーを受け取ったのね」
と、納得
これは、本来全ての人間が持っている能力です
こういう能力を封じ込める教育を
受けて来ましたから
一般的にわからない、見えない、感じない
ということになっています
そして、エネルギーという言葉にさえ
アレルギー反応を見せたりします
キモいとか怪しいとかね
特に日本は、日本人特有の能力を恐れられ、
戦後、徹底的に封じ込められましたからね
教科書からカタカナを奪われたのは
そのひとつです
日本語すら奪われかねなかった…
日本語を操る人種は
地球のアセンションに必要なんですよ
もうアセンションしたから
必要だった…になるのかしら
そもそも、地球のアセンションには
57音の言葉を操る人種が必要なんだそうで、
57音を使う言語が日本語なんだそうです
アセンションを阻む輩が
日本語を奪いそうになっても、
そこだけはちゃんと守られたんですね
感覚を封じ込める教育自体は
世界的なものでしたが、
感情までも封じ込める日本
これは戦前戦後関係なく、
もっと昔からのものですよね、多分
それが美徳とされていますが、
本当に美徳なんですかね
海外ドラマで見かけるように
怒りを大っぴらに
ぶちまけるよりは良いのかもしれませんが、
喜びすら封じ込める高校球児…
それを美徳とした大人たちの責任は大きい
あの行動は自発的なものらしいですが
怒りや悲しみという負の感情も
押さえ込まない方が良いです
当たり散らしたり怒鳴り散らしたり、
暴れ回って良いとは思いませんが、
自分の怒りや悲しみくらい、
自分でじっくり噛み締めて向き合わないと
押し込めて無かったことにしてしまうから
本当の自分がわからなくなるんです
深く考えないように
あんまり悲しまないように
怒ったってしょうがない
楽しいことしよ!
そんな風に言って焦点をずらすことで
感情を封じ込める
自分でそうしたり、そうさせられたり
その時は楽になります
一時的に救われた気がします
でもそうやって行きどころのない感情は
内臓に蓄積し、肉体を蝕むんです
精神を蝕むだけではなく、
肉体をも蝕んでいるんです
病気とはそうやって出来上がるんですよ
感情も感覚も封じ込めるチカラなんて
要らない気がします
何でもそうですが、
出ようとしているものを封じ込めたら
ろくなことにはなりませんもの
人様の感情に付き合う必要はありませんが
自分の感情にはとことん付き合いましょう
あまりにも辛すぎる時は、
楽しいことをして気を楽にするのも大切です
そして少し気が楽になったら、
そんな気になれた頃に向き合うといいですよね
どうして腹が立ったのか
どうして悲しかったのか
どんどん掘り下げて理由がわかったら
その感情を抱きしめて
感謝とともに手放すとだいぶ落ち着きますよ
自分では向き合えないなら
いろんな人がいろんなセッションをしていますので
興味が湧いたものを受けるのも手です
私も一応そんなセッションをやってます
https://ameblo.jp/yoshibee9173/entry-12872104379.html
封じ込めるチカラ、手放しましょ
最後までお読みくださり
ありがとうございます
2024.09.14の湘南