病院は「自分の公約として取り組むのではな」い? 姿勢が引けて、無責任さ通り越し、滑稽さ

 今日市のホームページを開いたら、ようやく1月22日の記者会見記録が出ていた。先日、病院整備が浮遊状態で、市長に具体的で力強い意気込み見られない旨書いたが、会見記録に目を通してその感を一層深くした。市長の姿勢が引けていて、無責任さを通り越して、滑稽ささえうかがえる。
 そのくだりを引用すると次のとおり。

記者 市長が仰った新病院整備、駅前のにぎわい創出、文化3施設の集約、MIZBEステーションの整備・活用などは、10月の任期までにはとても出来ません。ということは、引き続き市政を担う意向をお持ちなのではないですか。
市長 10月までの任期としてではなく、市として継続した事業ですので、一つ一つを繋いでいくように考えていかなければいけないと思います。いつ、何が起こっても後世に繋いでいくことを常に考えていかなければならないと思っています。
記者 いずれの事業も誰が市長であっても、野洲市には必要な事業と考えておられますか。
市長 はい、そう思っています。自分の公約として取り組むのではなく、市として継続して取り組む必要があると考えています(以下省略)

「契約解除等の判断は、市長選挙の公約の遂行のために行われたもの」と過去に陳述

 病院は栢木市長の一丁目一番地の公約ではなかったのか?だから記者は「いずれの事業も誰が市長であっても、野洲市には必要な事業と考えておられますか。」と質問した。

 そもそも、病院の現地半額新築の公約を盾にとり、市民・議会に協議もなく、市長当選後の初登庁日に駅前病院の設計業務を止め、その後契約解除したのではなかったのか?

 そして、その後、あらかじめ予想されたことではあったが、病院の現地半額新築の公約が不可能と判明し、公約違反。すると独断専行で、駅前Bブロック病院、体育館病院と二転三転して混乱を招いてきたのではなかったか?それなのに、「自分の公約として取り組むのではな」い、とはいかに?

 駅前病院の契約解除に対して令和3年5月に起こされた住民監査請求の陳述で、市長は次のように述べている。

「最高裁の判例に照らし合わせても、今回の私が判断した契約解除等の判断は、市長選挙の公約の遂行のために行われたものであり、民意に基礎付けられたものであることが明らかであるため、市長に与えられた広範な裁量権を逸脱しているとは言えないものと考えます」。なお、市長の言った最高裁の判例なるものが本当にあったのかどうか。いずれにしても、裁判では提出されなかったように思われる。

 これでは、今物議をかもしている大臣の発言と同じようなものではないか?

「病院が主体となり、事業管理者の下で粛々と進んでいくものと考えています」? 逃げの姿勢で委員会に臨む?

 会見記録にはもうひとつ引けた、無責任発言がある。次のとおり。 

記者 病院が完成するまで見届けたいという思いはありますか。

市長 新病院の整備については、債務負担行為の予算を議会でお認めいただいているので、病院が主体となり、事業管理者の下で粛々と進んでいくものと考えています。

 

 市長は病院の設置者であり、事業管理者も自分の意向のもとに任命している。さらに、議会への提案は市長にしかできない。どう見ても「病院が主体となり、事業管理者の下で粛々と進んでいく」事業ではない。それなのに、このように冷めて引いた発言を公にするということは、すでに、逃げの姿勢にあるのではないか?

 体育館病院の整備は立地上の問題に加えて、契約手続き、事業費、医師会との関係など山積だ。市長の意向で任命した「事業管理者の下で粛々と進んでいく」ような状況ではない。

 ところで、市ホームページに2月15日(木)午前9時市議会の病院整備事業特別委員会が開催されることが案内されている。機械設備工事の追加発注の方法についてなどの議題が上がっているが、市長は、病院整備が「事業管理者の下で粛々と進んでいく」という逃げの姿勢で委員会に臨むのか?