住民の訴えが認められなかった 駅前病院住民訴訟

 今日11月24日、駅前病院についての栢木市長に対する住民訴訟の判決が出されたようだ。結果は住民の訴えが認められなかった。この訴訟は2021年8月に出され、判決に2年あまりかかっている。これは市長側が当初からいわゆる入り口論に終始して本論に入らなかったことも影響している。
 訴訟の内容は次のとおり。市長が、市が運営する市民病院整備事業において、駅前病院の整備を番地まで特定して定めた市の条例に反して、議決予算により進められ最終段階にあった駅前病院の設計業務委託契約等を独断で解除し、違法にも、約4,257万円を支払った。その結果、市に同額の損害を与えたというもの。

漠然とした裁量権が市民代表である議会が議決した条例に優先する? 裁判官の論理展開に興味がある 

 この訴えに対する市長の主張は、以前紹介したように、かいつまんで言えば、2020年秋の市長選で示された民意に基づき行なった行為であり、市長の裁量権の範囲内のものであり、違法でないというもの。
 判決文を見ていないので何とも言えないが、争点は、地方自治法、ひいては憲法で認められた自治体の条例制定権に基づき定められた条例に対して、市長の裁量権が優先するのかどうかということ。市民感覚の素人判断ではあるが、市長の裁量権という漠然としたものが、市民代表である議会が議決した条例に優先するとは通常考えられない。このあたりについて裁判官がどのような論理を展開しているのか、大いに興味がある。

 

 

両刃の剣の判決 自治・行政の信頼性と安定性がなくなる  

 今日の判決は栢木市長にとっては喜ばしいことで、市長や関係者は胸をなでおろしていることと思われる。

 ただし、この住民訴訟にはもうひとつ別の側面がある。気づかれているかどうかわからないが、両刃の剣であることだ。

 判決文を読んでいないので確かなことは言えないが、今回は、市条例に基づき、議決予算でもって実施されていた事業を、行なおうと思えば可能性であった条例改正をあえて行なうことなく、市長の裁量権を理由に独断で中止することが適法だと認めた判決になる。

 その結果この論理で行けば、自治・行政の信頼性と安定性がなくなることになる。

体育館病院の中止で幻(まぼろし)化に法的根拠 駅前市有地処分に慎重な対応を期待

 そして市政の混乱は避けなければならないが、仮定の話として、1年足らず後に予定されている次の市長選において体育館病院に反対する候補者が当選した場合は、次の市長が裁量権を理由に独断で即時に体育館病院の基本設計段階の契約を解約することに法的正当性を与えたことになる。その結果、体育館病院は幻(まぼろし)となる恐れがある。
 駅前病院には条例があり、実施設計の最終段階であったが、体育館病院の場合は条例はなく、実施設計以前の基本設計の段階であり、創(きず)ははるかに浅い。
 今回の判決を受けて、市長は駅前市有地を駆け込み処分するのでなく、慎重に対応することが期待されるとともに、本人のためにもなる。