駅前市有地のマンションは決まっている? 火のないところに煙は立たない

 先日ある市民から問い合わせがあった。新病院の場所として条例で決まっていた駅前市有地にマンションが建つことは決まっているのかと。これまでもこのような噂は流れていたが、今回は市議会で政党名を掲げ、市長の政策に賛同している会派の厚い支援者である人がそう言っていたとのこと。情報の出所がそのようなものであれば、その市民が心配するのはもっともなこと。

 決まっているかどうかは分からないが、市が明らかにしているスケージュールでは、駅前市有地の事業者公募は今年11月であり、最終決定は来年3月末になっている。したがって、駅前市有地がマンションになることは表向きの手続きでは決まっていない。

 しかし、火のないところに煙は立たないの例えのように、情報元からすると、そうとうの信憑(しんぴょう)性があると受取られても仕方がない。そして実のところは決まっていて、既成事実化して市民に諦め感を持たせるためにわざとリーク(漏ら)されているのかもしれない。

 

審議会等で客観性や透明性を装い、実は密室で決められた結論を追認 公共団体でなく、個人事業の進め方

 駅前市有地のマンションに限らず、栢木市長のもとでは様々のことが密室で決められてきた。ただし、表向きの手続きだけは審議会や検討会、また市民懇談会、アンケートなどによって客観性や透明性を装ってきた。

 このことは、病院、総合計画、駅前市有地開発、文化施設の統廃合、市民憲章などの検討や審議の会議が、いずれも先に結論ありきで進められてきていることで明らか。

 たとえば、駅前市有地開発検討委員会について、益川議員が今議会での質問で、なぜ委員の意見を尊重・反映しないのかと何度か詰め寄っていた。

 またこのようなことは業務委託の業者選定などでも同様だ。実質的に1者随契の繰返しになってしまっている。今度の体育館病院の業者選定も同じようになるのではないかという話も聞こえてくる。これでは法に基づき、議会制民主主義を基本とする公共団体の進め方ではなく、まったく個人事業の進め方そのものだ。

審議会等委員の尊厳ははく奪 人権尊重のまちでの人権侵害 看板は市政の実態の信号を市民に送り続けている

 今日これを書き出したのは、駅前市有地マンションのことだけでなく、人権にかかわることとして気になったから。今日もまだ「人権尊重のまち宣言」の巨大な看板が初秋の青空を背にして市役所の入り口に立っていた。しかしこの宣言に反して、市長が設置した審議会や検討会の委員の尊厳は失わ(はく奪さ)れているのが実態ではないか?

 あらかじめ市長が決めた結論を市民や団体代表、学識経験者が追認することが当たり前になっている。病院の検討は一昨年の評価委員会以降この流れだし、最近では体育館周辺を新都市拠点にし、農地転用を促そうという総合計画の改訂が分かりやすい例だ。

 以上のように市民や専門家が法で保障された自由な意見の表明という人権を侵害され、きつい言い方になるが市長の駒となって、人としての尊厳をはく奪されていることが常態となっている。おそらくこのことは委員などに限らず、市の職員についても同様であると思われる。

 これでは、「人権尊重のまち宣言」が泣く。そう思って巨大な看板の根元を見れば、錆が回って今にも倒れそうではないか?市役所入り口の巨大な看板は正直で、市政の実態の信号を市民に送り続けているようだ。

 ところで、知人からの連絡で知って、再生紙入れを探ったら今日の朝刊に折り込まれていたチラシが出てきた。市長与党会派の幹部議員の発行。駅前市有地にタワー(超高層)マンションを建設するというものであった。家族が高級マンションの売り出し広告かと思って即再生紙入れに入れたほど、お金がかかっていそうな印刷物。火のないところに煙は立たない。