辞任劇は評価委員会の信頼性と正当性にとって重大な問題

 4月11日の部長会議で5月21 日13 時から病院整備の市民説明会、また5月15日の週に病院整備事業等審議会(旧評価委員会)の開催と報告があった。したがって、明日5月1日に新聞折込みで配布される市広報紙には、その案内記事が載ることになる。

 ところで、評価委員会に関して奇妙な情報が知人から送られてきた。前副市長のフェイスブック(Facebook)に、評価委員会のある委員の辞任についての情報が、だれでも読める形で掲載されているとのこと。なお、この委員は建築の専門家。

 また、そこには、その委員にあてて、当時の病院整備担当次長が送った文書の写しがそのまま掲載されているらしい。文書には職員の所属・職と姓が明記されているので公文書に当たる。昨年11月のことらしい。

 この委員が辞任した経緯と理由は、詳しくは分からない。しかし、この委員の専門と実績からすると、この辞任劇は評価委員会の信頼性と正当性にとって重大な問題だと思われる。

 

 

病院現地半額建て替え公約の可能性検討のため学識経験者である専門家委員を増員

 昨年11月14日の評価委員会の委員名簿では、以前の名簿から委員が1名減って13名になっていたので変だと思っていた。昨年度末までの委員構成は、栢木市長が就任直後の2021(令和3)年1月、病院現地半額建て替え公約の可能性を検討するために、「学識経験者、医療関係者」である専門家を増員した体制であった。なお、この検討は結果的に市長の公約違反を明らかにした。

 医療関係では、一山智・滋賀県立総合病院総長、田中俊宏・滋賀医科大学医学部附属病院長、今井晋二・滋賀医科大学教授が、また建築関係では、布野修司・日本大学生産工学部客員教授と野田芳朗・ 滋賀県建築設計監理事業協同組合理事長が新たに委員に加わった。 

 なお、陶器浩一・滋賀県立大学教授は委員に加わっていない。今回委員構成の経緯を辿って初めて分かったことは、布野委員と野田委員の2名がどこかの時点で抜け、その代わりに陶器委員が委員に就任した形になっている。

 先に紹介した病院担当次長の文書が昨年11月のものであるので、それからすると陶器委員はそれ以前に就任していたようなので、陶器委員は野田委員の代わりということになる。しかし、専門や経歴からみると、陶器委員は滋賀県立大学名誉教授である布野委員の代わりの位置づけになる。ちなみに、布野修司名誉教授は、県大の副学長及び理事を歴任しており、著書、論文も多く高名な建築と都市の研究者。おそらく、滋賀県庁退職後に退職者人事で県大の副理事長に就いていた前副市長に頼まれて就任したものと思われる。

 

 

市長は「病院整備事業を評価委員会のご指南に沿わない方向に仕向けた」 専門家の意見を無視した計画が上手くいく見込みは薄い

 冒頭で紹介した委員の辞任の経緯や理由は十分わからない。しかし、この委員にあてた当時の病院整備担当次長の文書から、ことの重要性がうかがえる。文書にはつぎのようなくだりがある。

 「市長は大変残念とされた上で、政策的理由とは云え、本市の病院整備事業を評価委員会のご指南に沿わない方向に仕向けたこと、また、全国で市民とともにまちづくりを進めておられる〇〇先生にご迷惑を及ぼしたことを申し訳ないと言われ、慰留は断念せざるを得ないと判断されました。」

 これを読めば、昨年11月14日の評価委員会では、医師会長以外どの委員も具体的な意見を述べず、委員長の滋賀医科大学の上本学長が、そそくさと「異論なし」で会議を集約した理由が分かる。

 要するに、市長は「評価委員会のご指南に沿わない方向」で病院整備事業を進める方向性をあらかじめ打ち出していたのであり、当日の会議にはそれに応じた委員だけが、リモート(ネット)参加と文書での意見提出を含め出席したことになる。ただし、医師会の小西会長と欠席で意見提出もなかった草野とし子・滋賀県看護協会会長を除いて。

 条例に基づいて設置された、市の第三者機関である評価委員会の意見までも無視し、あえて言えば、御用委員だけを集めて形骸化した会議を開いた。そしてその結果をもって、市民と議会を欺(あざむ)き、病院の基本計画を策定し、建設予算の可決を得て、誤った事業を進めようとしている。

 学識経験者(専門家)・研究者としての良心を貫いて、市長の横暴を受け入れずに辞任した委員と市長の横暴を受け入れただけでなく、積極的にそれを支援して会議をまとめた委員長の滋賀医科大学の上本学長の信条と姿勢の差はあまりにも大きい。

 いずれにしても、学識経験者(専門家)の意見を無視した無謀な計画が、最終的に上手くいく見込みは薄い。