1年前の今頃はBブロック病院を止め熟考中だった

 物事はその時見えなかったり、見通せなったりしたことが、時が経ってから振り返ると見えてくる。落葉樹の葉が冬になって落ち、木の幹と枝の姿が見えるのと同じ。

 野洲市の病院問題は、栢木市長が駅前病院を止めて二転三転し出してから約2年半。この1年あまりの間だけ見ても大きな変転。ちょうど1年前の今頃は、それ以前の半年間、自ら決断したとして進めてきたBブロック病院を止めて、次の方針の熟考中だった。

 市の組織的な検討でなく、市長が密室で4か月も熟考することは行政組織では異常で、ある意味贅沢なこと。ところが、市議会はそれを許し、市長の託宣(たくせん=お告げ)を大人しく待った。その結果、昨年5月に体育館病院に決めたと市長からお告げがあった。その後、市議会は市長の独走を許し、体育館病院の準備予算を認め、現在に至っている。

体育館病院が最善だと胸を張れない 市長指南役の角野県理事が裏付けた 市長の実績からは体育館病院を止めることはた易いこと

 ただし、今になってからは、一昨日書いたように、体育館病院は市議会と市民がすでに認めたので、その決定を執行部(市長)が変更することはできないという言い訳で、市長自身の主導性と責任を隠そうとしている。

 かつて栢木市長は、市議会と市民がすでに認め、条例まで制定されていた駅前病院を止めた実績の持ち主。本人がその気になれば、医師会の提案を受けて、まだ基本計画段階の体育館病院を止めることはた易いこと。

 したがって、この言い訳が根拠のない詭弁であることは明らか。本来なら、体育館病院は市民にとって最善だと胸を張ることが期待されている。しかし、それができない。このことは、栢木市長の有力な指南役である角野文彦滋賀県理事が昨年11月14日の評価委員会で次の消極的な発言によって明らかに裏付けた。「私自身には今提案されている場所を強く否定する理由はない。」(要録)

 

 

この1年間B病院を体育館に置き直しただけ 課題と問題は飛躍的に増えた スケジュールまでB病院と同じで実現性への信頼性ない

 ところで、1年あまりの経って見えてくることは何か?結論から言えば、実質的な進展はなく、要するにBブロック病院を旧温水プール跡地と隣接空き地にそのまま置き換えただけのこと。

 体育館病院の基本計画もBブロック病院の基本計画案と大半が同じ。病院の階数やそれに伴いレイアウト図が少し変わっているが、土地の形状は似ているため、実質的には大きな変更はない。

 逆に、整備にあたっての課題と問題は飛躍的に増えた。それなのに整備スケジュールまでBブロック病院と同じ。これでは実現性への信頼性はない。

用地問題だけでなく、市の組織力問題も同じように大きなネック

 現在4200万円もの市税を使って、業者選定のための要求水準書の作成中だと思われるが、土地情報が十分でなく、また、工事費の高騰が見込まれるため、要求水準書の作成は容易でないはず。特に、土地情報の不備は大きな問題。

 また、以前に触れたことがある、設計施工一括発注入札にあたっての「大綱」も一見もっともなように見える。しかし、おそらく内実は一担当者の作文で、十分な議論と検証が行なわれていないため、実践性がない。

 さらに、このことに絡んで、市の組織には、現病院の運営を行いながら、これほど問題の多い土地に新病院を建てるという事業を進めるに当たって、同種同類の事業を経験し、実績を持った人材がない。市長は、その代わりとして、外部のコンサルタント株式会社プラスPMに頼ろうとしているようだが、外部に頼れるようなそんな簡単な話ではない。

 このように見てくると、体育館病院については、整備用地の問題だけでなく、市の組織力の問題も同じように大きなネックになる。