『泥船から逃れた。』 市組織の状況を的確に表現」 本人だけでなく市民にも大きな損失

 先日は市立野洲病院の職員が、展望を持てないなどの理由で退職していることを話題にした。ところが、そのような状況は病院に限らない。

 すでに、1年足らず前の昨年4月に「『泥船から逃れた。』 市組織の状況を的確に表現」の標題で野洲市役所の状況を紹介した。それは、この言葉が市の若手職員の間で交わされているという内容。あらためて簡単に繰り返すと次のとおり。

 泥船とは泥でできたすぐに沈んでしまいそうな船。この泥船とは市役所のことで、将来に明るい展望がないと見限って辞めていった職員が何人かいる。

 この「泥船から逃れた。」という表現には退職者への非難ではなく、羨(うらや)ましさの思いが込められている。もちろん、転職するためには、新しい就職先を見つけなけでばならない。

 もともと市民のために働くことに使命感を感じ、公務員になった職員。しかし、現状ではその使命感が達成できないし、当面その見込みもない。そうとなれば、見限って、チャンスがあれば、あるいはなくても、やむなく泥船から逃れざるを得ない。本来あってはならない、犠牲的な状況に職員を追い込んでいる。もちろん組織にとって人が一番重要。したがって、市役所、ひいては市民にとっても大きな損失である。

展望なく後ろ向きの余計な業務が増える

 この状況がその後改善されたとは思われないが、いずれにしてもどうなっているか心配していたところ、1週間余り前に出会った市民から状況は相当悪くなっていると聞いた。野洲市を退職して県内の他の自治体に転職した職員がいるという。

 もちろん市民には市役所の内情は分からない。しかし、法令やルールどころか、常識まで無視した強引な事業の進め方。加えて、秘密・密室主義。その典型は病院と駅前開発であるが、これら以外にも行財政改革に名を借りた市民サービスの切り捨て。さらには、市長のパワハラ事件や教員のいじめ事件などを含め、職員の業務は膨大に増えているはず。しかも、それら増えた業務は、市民と市の発展に役立つ展望のあるものでなく、まったく後ろ向きの余計な業務。

 ところで、市民に比べて市の状況が分かる議員はこのような状況に対してどのように考え、対応しているのか?いや、それどころか、逆に議員がらみでも業務が増えているとの情報も伝わってきている。

 そのうえ、今後も病院と駅前開発の業務が増すだけでなく、国スポと障スポの準備と開催、県立高専関連など新たな業務が加わる。

 重ねて言えば、展望がないとか業務が増えるとか言ったこと以前に、職場の雰囲気が暗くて陰湿であれば、人によっては1日でもいたたまれない。

氷山の一角 泥船は溶解寸前ではないか?

 このような心配をしていたところ、今朝知人から市の幹部職員が長期休暇をとっているとの情報が入ってきた。私もよく知っている職員で、人柄は明るく、常に前向きで手堅い仕事ぶり。また日頃からスポーツに親しんでいて健康であったはず。休暇の理由は分からないが、この知らせを聞いてかなりのショックを受けた。

 その職員の今の職務からすると、これまで書いてきたような市の泥船状態が原因であることも否定できないと思われる。そして、もしそうであれば、当然これは氷山の一角。

 このような状況は、職員の個人的な問題でなく、組織の問題であり、結果的には市民にとってマイナスになる。事態は限界を超え、泥船は溶解寸前ではないか?まずは職員の安全を守ることが肝心。