決まったのに邪魔するなは言論封殺 パワハラやいじめと同じ風土?

 先に触れた市民団体のチラシの回収要求にからんで耳に入った話。

 チラシに賛成の反応があるとともに、当然反対のものもある。ただ、その反対の声のなかに、市長がすでに決めたのに邪魔をするなという趣旨の威圧的と受取られる反応も目立ってあるとのこと。

 この反応、さらっと聞き流せばなんでもなさそう。しかし、このことを耳にしたとき、やはりある種の恐ろしさを感じた。先に結論を言えば、自由な言論の封殺(ふうさつ)。以前紹介した市幹部による市民団体に対するチラシの回収要求文書も性格的にはよく似ている。

 市民団体の人たちは、自分たちが得た情報をもとに、思いや意見を表明している。まさに憲法が保証する表現の自由。このことは、体育館病院に反対し駅前病院を支持する医師会のチラシでも同じ。いや、客観的根拠がないのに、新病院の令和8年度開院を宣言した市の広報紙でも同じことではないか?

 なお、決まったのに邪魔するなという趣旨の反応に対しては、パワハラやいじめと同じ風土が、背景にあるのではないかと直感的に感じられる。

 

 

体制盤石だが、中身盤石でない兆候? 芝居の書き割りのように一押しで倒れる恐れ? 

 決まったのに邪魔するなという趣旨の反応には、表現の自由を認めないということだけでなく、また別の意味が直感される。

 常識的に見れば、市民団体の1枚のチラシに、市長が推し進め議会の過半数が賛同するという、盤石の体制で進められている政策を邪魔するほどの影響力はない。

 ところが、そのチラシを受け取った市民のなかにそのような反応があることは、ある意味、興味深い兆候。裏返して言えば、体育館病院の推進体制は盤石であるが、中身が盤石ではないという危機感の表われ。

 病院事業管理者や顧問の設置、9300万円の準備予算の措置、基本計画や工事発注「大綱」などの文書の策定など、体制は盤石に見える。しかし、これまで書いてきたように、用地の地盤の安全性の確証はじめ、屋外階段の移設等々具体的な事業工程(スケージュール・段取り)は、いまだぼやけたままで、中身が詰まっていない。これでは、芝居の書き割り(大道具)のようなもので、ちょっとした一押しで倒れる恐れがある。

 決まったのに邪魔するなという反応には、このような危機感が共有化されているのではないか?もしこの推測が当たっているのであれば、市長にとってだけでなく、早期の新病院開院を期待する市民すべてにとって不幸なこと。