プロポーザルはプレゼンテーション審査非公開で密室審査 Bブロック病院の時より一層後退

 先日駅前商業開発のための「野洲駅南口複合商業施設整備事業支援業務」予算1900万円の内容と業者選定の問題点を紹介した。現在公募型プロポーザルで受託業者選定手続き中。正式には「野洲駅南口周辺整備事業官民連携支援業務委託に係る公募型プロポーザル」という長い名称。

 この参加申込書等の提出締切が2月3日だったので、応募業者があったか、なかったかはもうわかっているはず。後の日程は、7日に参加資格審査結果の通知、14日プレゼンテーション審査。ただし、プレゼンテーション審査は非公開のようなので、まったくの密室審査。Bブロック病院の基本計画業務の時よりも一層後退している。

「官民連携事業」の市長説明は内実と矛盾 民間の資金やノウハウを活用して効果的に公共サービスを提供する仕組み

 しかし、問題はこれら業務の内容と発注手続きにとどまらず、もっと根本的な所にある。

 市長は「官民連携事業」であることを掲げているが、これまで説明された内実と矛盾する。詳しくは後で触れる。

 「官民連携事業」には様々な形態があるが、基本は官が公共サービスを提供するにあたって、民間の資金やノウハウを活用して、効果的に公共サービスを提供する仕組み。

 一般的な分かりやすい例をあげれば、新しく文化ホールを整備する場合、市が土地を確保したうえで、民間がノウハウを活かして魅力的で採算性の高い運営をするために独自に資金を調達し、施設を整備したうえでその後の運営に当たるといったもの。市は当初に必要な巨額な施設整備費を省ける。ただし、その代わりに、市は毎年サービス購入料として民間に相当な金額を払う必要がある。したがって、「官民連携事業」の採用に当たっては、交付金や交付税措置のある起債事業とどちらが有利かの厳密な比較が必要になる。

 なお、野洲市の新しい温水プールは今例に挙げたこの方式の「官民連携事業」で実施。

当初の「賑わい」と「税収増」が「複合商業」に変質 「複合」はマンションか市の施設か?

 そこで、「複合商業施設整備事業」のあまりにも多様で多い問題点。

①そもそも栢木市長の選挙公約には駅前での商業開発はなかった。あったのは、ウェルシアの店舗が新しく整備された通称C地区の市街化区域の商業開発であった。

②市長就任後になって駅前での商業開発を言い出したが、当初は賑わいと「税収増」が目的であった。そのため、市民は大規模商業開発のイメージを持った。そして、しばらくの間市長は、市のランドマークづくりを口癖にしていた。

③ところが、当初は「賑わい」と「税収増」が目的であった駅前商業開発が、どこからか「複合商業施設整備事業」に変質。この「複合」が何を意味するかは、これまでの市長の議会答弁ではマンションであったり市の施設であったりと不明確なまま。

 

市有地売却しては「官民連携」でない 主な公共施設が挙がってない 本来は病院と文化ホール 商業開発は民間事業が原則 民間への便宜供与?

④この「複合」が何を意味するかは不明であるが、「官民連携事業」であるとする限りは、この「複合」は公共施設であることが必要。その場合、マンションは排除されるのか?

⑤万一、この「複合」が市民への公共サービス提供施設だとすると、その明確な課題と目的が示されていない。本来の駅前計画では市直営の病院と「官民連携事業」を想定した、集会施設、図書館分室、子育て支援施設等であった。しかし、現在残っているのは、図書館分室や子育て支援施設等で、主になる公共施設がない。これでは「官民連携事業」にする意味がない。

 客観的に見るなら、今市の課題になっている主な公共施設は、病院と文化ホールである。

⑥栢木市長が就任後に打ち出した商業開発による「賑わい」と「税収増」が主な事業目的であるなら、自由主義・資本主義経済にあっては民間に任せるものであって、中途半端に官がかかわるものではない。

⑦まだまだ問題点は尽きないが、とりあえずまとめると、上述の例のように、「官民連携事業」を行なうとしたら、市は市有地を手放しては成立しない。ところが、市長は市有地の売却か貸付が前提と言っている。これでは、「官民連携事業」にならない。

 このように事業の意図が曖昧で分からないが、客観的に見れば、実体のない「官民連携事業」を名目にして、民間からの提案、ということは民間の思いのままの計画に対し、安値での土地売却など、市が便宜や利益供与を図ろうという、隠れ蓑の仕組ではないかと見えてくるのも致し方ない。

検討会が病院評価委員会の二の舞にならないことが期待される

 先日書いたように、なぜそのために市民の税金から1900万円も無駄に使うのか納得できない。また、今後立ち上がる「野洲市野洲駅南口周辺整備構想検討委員会」にだれが委員として参加し、このような歪んだ条件のなかでどのような議論ができるのか?病院評価委員会の二の舞にならないことが期待される。