「劇場国家日本」と劇場都市野洲市

 かつて1980年代に劇場国家という言葉が流行ったことがあります。それは日本の研究者による「劇場国家日本」(1982)という本の出版がきっかけだったが、それには元本というべきものがあって、それは1980年にアメリカの人類学者が、19世紀バリ島の国家の仕組について書いた著書。その著書の要点は、欧米に起源をもつ近代的な国家の統治システムでなく、劇場空間としての国家において盛大な儀礼によって国家が治められていたというもの。そして、「劇場国家日本」のメッセージは、近代国家システムの日本国においても劇場国家の仕組が基底にあるといった内容だったかと思う。

 いまさら劇場国家という言葉を思い出し、持ち出してきた理由は、野洲市政の状況、とりわけ昨年後半から今年年明けまでの動きを見ていると、劇場都市・野洲市という言葉が突然浮かんだから。

劇場国家は儀礼で統治 野洲市政はイベント行政でなく、行政自体がイベント・儀礼

 野洲市政の場合は、実のところこの2年間余りの間、ガバナンス(統治)が利いていなくて、政策方針の二転三転、また評価委員会、市民懇談会、そしてあえて言えば市議会といったイベント、言いかえれば儀礼によって市政が進められてきた。残念ながら、19世紀のバリ島の国家のように治められて来たとまでは言えない。

 一般的には、イベント行政というと、大会や催し物に偏った政策を進める行政のことをいう。かつて滋賀県にもイベント知事と噂された知事がいて、就任直後に新世紀(21世紀)イベントと称して、総額では40億円を使ったと言われていた。ただし、当時は財政は豊かだったし、行政サービスと事業は手堅く行なわれていたので、知事の噂話で済んで、忘れられてしまった。今から20年以上前のこと。 

 ところが、現在の野洲市政の場合は、大会や催し物によるイベント行政でなく、行政の仕組みと進め方そのものがイベント、劇場国家の言葉で言えば儀礼によって成り立っている。ある段階までは、このような行政でも外部から見ている場合は、何かが動いているように見える。しかし、実務・事業の段階に入り、着実に石積の石を積み上げ、現実の成果を出していく段階になると機能しない。

病院と駅前事業は実質的に初めての上り坂 軽快な走りができるか?

 以前、平場と下り坂では調子よく走るが、上り坂になるとエンジンだけは唸るが、まるっきり走らない自動車の例を紹介した。これは思いついたたとえ話でなく、1980年代はじめヨーロッパで借りたレンタカーでの自からの体験。当時フランスのクレルモン・フェランに至る延々と続く坂道をプジョーは軽快に走った。もちろん、今の日本車は遜色がなくなっている。

 話が逸れたが、野洲市政の病院と駅前事業は実質的にこれからが初めての上り坂。密室型だからエンジンの唸る音は外には漏れないだろうが、軽快な走りができるか?