人の信頼性を生き血のように飲み込んで膨れ上がってきた妖怪のような公共事業

 先日から体育館病院にかかる評価委員会や委員会が最終的な墨付きを与えたた基本計画について書いてきて、改めて思ったこと。それは、この体育館病院、というよりその発端となった栢木市長の病院現地半額建替え公約の断念以降、新病院計画によってどれほど多くの人、とりわけ協力者の信頼が失われてきたのかということ。

 なお、ここで信頼性というのは、人格に関わることでなく、発言や行為に関わるものであることをあらかじめ断っておきます。

 当の協力者たち本人はどう思っているか知らないが、外から見ていると、人の信頼性を生き血のように飲み込んで膨れ上がってきた妖怪のような公共事業(プロジェクト)。

 もちろん、飲み込んできたのは、人にとってその尊厳にかかわる信頼性だけでなく、お金、職員たちの時間と労力も含まれている。ところが、市長はこの過程を「一日も早く病院を整備するために行った判断の経緯だと思っている。」と強弁。

審議に対する誠実さと発言の信頼性が感じられなかった評価委員会

 信頼性を生き血のように飲み込まれて失ったと思われる協力者とは、すでに触れた滋賀県立大学の陶器浩一教授などの評価委員会の委員たち。とりわけ、滋賀医科大学の上本伸二学長。もともとは、中立的な立場で科学的・客観的な議事進行と判断が期待されたが、それがなく、「今回の計画を逃すと医師の確保も非常に困ったことになる可能性があると考えている。」、「計画は待ったなしの状況であると思う。」(要録)と会議を締めくくり、市長の強弁をなぞっている。

 他の委員も、医師会代表と欠席だった県看護協会代表を除いては、市民代表を含め計画案に異論なしだった。市長挨拶や事務局説明等を除けば1時間にも満たない審議で、これほど不明点と問題の多い案を異論なしとして認めることは、通常考えられない。そこには、審議という行為に対する誠実さと発言の信頼性が感じられなかった。

信頼性を失ったと思われる犠牲者は多い 市長は?

 信頼性を失ったと思われる犠牲者は、評価委員会の委員たちだけではない。この計画をもとに提出された補正予算議案に賛成した議員たち、特に、市民代表としての議員の役割である意見表明もなしに賛成した議員たち。そして、前川管理者をはじめとする一部の関係職員もここに含まれる。このように犠牲者は幅広くに及び、多い。

 さて、市長は?ここまでたどってくれば、市長については、昨年の3月に明らかになった病院現地半額建替え公約の違反でその信頼性はすでに失われていたと見えてくる。先に紹介した12月14日市民団体が開いた会議で、「市長の当選は半額公約。それを破った人に市政任せられない。」との参加者の意見に多くの拍手があったことからも明らか。

 このように、もともとそうではなかった人たちの信頼性を次々と飲み込んで膨れ上がってきた妖怪のような体育館病院。

エビデンス重視で信頼性高かった議員がどう事情が変わりリスクなしと断言した? まさに妖怪もの! 誰の手にも負えなくなるのではないか?

 ところで、議案可決日の翌日、「補正予算に準備工事費 野洲市議会可決 新病院整備、本格化へ」(毎日新聞2022年12月23日)の見出しで事業が動き出す新聞記事が出ていた。記事には、「『地盤や電磁波の懸念はあったが、新病院建設への決定的なリスクにはならない。計画を先延ばしにせず、これまでのノウハウや労力を生かし一歩を踏み出すべきだ』と賛成討論した。」(毎日新聞2022年12月23日)という田中陽介議員の意見が詳しく紹介されていた。田中議員はこれまでは誰よりもエビデンスの重要性を唱えていて信頼性が高かった。その議員が、どう事情が変わったのか、地盤や電磁波の懸念が決定的なリスクにはならないと何をもって議場で断言したのか不可解。まさに妖怪もの。

 いずれにしても、このように弾みがついた妖怪プロジェクトは、今後ますます巨体になり誰の手にも負えなくなるのではないか?