市と市教委の対応には驚きを通り越して珍事 事実は小説より奇なり 病院問題と共通項が

 昨日新聞記事をもとに紹介した、野洲市の小学校での教員によるいじめ事件の顛末。この新聞はこれまでから栢木市長寄りの記事が目立つ。今回の記事もよく読めば、責任を県教委にまで広げ、市の責任を薄めるとともに、市内部でも責任を関係者に限定して、それが教育長と市長に及ばない配慮が働いているように受取れる。

 そのことは別にして、今回の市と市教委の不誠実で粗雑な対応には驚きを通り越して、珍事としか言いようがない。まさに、事実は小説より奇なり。

 それとともに、この事件の根底には病院問題と共通するものがある。その理由は最後に。

臨時講師退職まで隠ぺいし、事件をなかったことにしようという意図? 市教委組織内での意図的な隠ぺいと放置で傷を隠す

 市教委の事務局からそう遠くもないところにある市立小学校で深刻ないじめ事件が起こっていたのに把握していなかった。教委はもちろんだが、現場の校長等はどうだったのか?

 このことだけでも不可解だが、保護者が県教委の支援室に相談して、そこから市教委に約5回にわたり情報提供があっても、市内部で問題が共有化されなかった。さらには、県教委支援室が同じ県教委の教員人事担当課に報告するよう助言したにもかかわらず、それを放置し、その結果問題を起こした臨時講師は「野洲市での任期が満了し、別の自治体の学校で勤務しているため、処分ができない可能性がある。」(毎日新聞2022年12月14日)。

 このようにたどってくると、昨年度末の臨時講師の退職まで問題を隠し通し、事件がなかったことにしようという意図さえ読める。要するに、市教委組織内での意図的な隠ぺいと放置、言いかえれば傷は隠せ。このようなことは、担当者段階だけでできることではない。

まだしも隠ぺいの方が救いがある なければ通常業務が正常に進められてないことが明らかに チェックの網もない

 ところが、記事では市教委は隠ぺいの意図はなかったと話したことになっている。もし本当にそうであれば、事態はもっと悪く、救いようがない。もちろん隠ぺいはダメだが、むしろ今回の場合は、市教委の対応に隠ぺいの意図があった方がまだしも救いがある。

 なぜなら、今回のことが隠ぺいでなく、事実だとすると、これだけ重大なミスが重なったということは、学校現場を含め、市教委では通常業務が正常に進められていないことが明らかになるからである。

 また、通常業務から外れた危機対応においても、市教委内の各階層でのチェック機能がまったく働いていないことになる。チェックの網の目が粗いとか、破れているとかでなく、そもそも網がない状態。そしてこのような深刻な状態に気づいてなかったことになる。

二転三転は無駄でなかった発言は傷隠し 

 いじめ事件が長くなったので、病院についての傷を隠せの一例をあげて簡潔に。

 栢木市長は、病院現地半額建替え公約違反以降、体育館病院にいたる二転三転は新病院を早く整備するために必要な経過だった旨を何度か公言してきている。すぐに思いつく例を引用します。

 「これまで何度も説明してきたが、『駅前に病院を整備しない』というのが私の公約である。整備場所について二転三転して皆さんに迷惑を掛けたが、それは一日も早く病院を整備するために行った判断の経緯だと思っている。」(2022年11月10日部長会議録)

 改めて読むと、栢木市長には、「駅前に病院を整備しない」だけで、どこに病院を整備するかの公約はなかったことになる。いや、そんなことはなく、場所は現地であったはず。

 場所の問題は別にして、多大なお金と労力を使い、2年余りの時間を無駄にした。常識的には、このことは、現地半額建替えの公約違反に続く、重大な失敗。言いかえれば、ミスであり、傷。それを傷と認めないで「早く病院を整備するために行った判断」だったと言いくるめ、傷を隠す。他の機会では、市長は、二転三転は無駄でなかった趣旨の発言までした。

現地半額建替え技術的可能も傷隠し 組織体力弱体化で傷が致命傷に

 ついでに言えば、公約の現地半額運営立替えが、技術的に可能という評価委員会の判定。技術といっても多様であり、具体的にどのような技術なのか示されていない、曖昧で非科学・技術的な判定。後で聞いたところでは、この文言は委員の総意ではなく、市長寄りの委員のねじ込みだったらしい。それを、例のごとく、結果的には滋賀医大学長の上本委員長が便宜を図った。

 いずれにしても、これら一連は、傷を隠す行為。これほどに無理をして傷を隠す必要がある理由は、おそらく組織体力が弱体化していて、ちょっとした傷でもだし、ましてや重大な傷であれば、市長の政治生命にかかわるから。市長のパワハラの処理もあいまいで、まだ尾を引いている。

 これまた、経験からの推測ではあるが、傷隠しにかかわることを迫られている職員たちは、日々公務員としての良心の呵責を感じながら、晴れない日を送っているのではないか?これも味方によれば、パワハラ。