国土地理のデータで体育館敷地の土地情報を見る

 今日、国土地理院のホームページの地図情報サービスで体育館敷地の土地情報を改めて確認しました。

 以前紹介したように、1941(昭和16)年6月28日、豪雨で家棟川が決壊し、当時県内で最大の被害が出た。そのため、翌1942(昭和17)に滋賀県により河川改修工事として流路の付け替え工事に着手され、戦後の昭和22年3月に竣工。そのため付近の土地状況は大きく変わっている。

 また、その後も市道市三宅小南線の開通や家棟川廃川敷地での住宅開発、中ノ池川の暫定改修、そして体育館建設のための造成などで、この70年余りの間に周辺状況は一段と変わってきた。とりあえず、航空写真と地図で過去の土地状況を紹介します。いずれも国土地理のデータです。

河川土砂によって形成された低湿地 高専予定地と同じく河畔林と植生があった土地

 まず、家棟川の河川改修工事が竣工した直後、1947年11月21日に米軍により撮影された写真。家棟川の河道と河畔林や植生がそのまま残っています。旧温水プール跡地で病院予定地のところは、ほぼ植生に覆われている。

 これを、この1年後1948年の地図で見ると、この場所の付近には池のようなものが存在するように見える。なお、この1年後1949年3月の写真では当然状況は変わっていない。

 要するに、この場所は家棟川と中ノ池川が童子川に合流し、天井川を形成していた家棟川によって上流から大量に運ばれた土砂によって形作られた低湿地であった。

 ところで話は変わるが、高専予定地と同じく、この土地も元は河畔林と植生があった土地。もちろんすでにそれら植生は剝ぎ取られているが、何かの縁か?

病院は中ノ池川の崖プチに引っかかる形で建てる

 過去のことはこれぐらいにして、現状での地盤高について同じく国土地理のデーターで見ると次のとおり。

 それぞれ地図の始と終でつながれた線の断面が、図上左上のグラフ。特徴をとらまえやすいように高さの比率を大きくしてあるので、高低差が大きく見えるが、実際はこれほどではない。

 この図から分かることは、体育館建設時に相当大規模な造成工事を行って地盤高を嵩上げしていること。また、体育館本体の建物は、その造成地盤の「中央」にあって安定しているが、病院予定地は敷地の川側の端っこで、まだ本格改修が終わっていない中ノ池川の崖プチに引っかかる形で建てることになる。

搬入土量、工事の詳細など土地造成データを公表すべき 机上の基本計画を基に突っ走ることは危険

 この土地について、市はこれまで過去の温水プール建設時のボーリング調査データをもとに地表から10m砂れき層があるから安全だと主張してきた。しかし、その一方で、病院建物以外の敷地の1800㎡の液状化対策として、「砂杭工法」により9千万円を見込んでいる。

 なお、この額については、先の一般質問で村田議員が専門知識を交えて、見積もりが低すぎ、もっとかかると指摘した。

 この土地については市はボーリング調査データしか出していないが、病院事業を本当に真剣にやるのであれば、この土地の造成に関わるデータを公表すべき。具体的には、造成前の土地状況、造成に要した搬入土量、工事の詳細など。

 本来行うべき情報収集と調査も十分行わないで、机上の基本計画を基に突っ走ることは危険。