白い頬毛と漆黒の羽毛に覆われた姿に気品が漂うカワウ一羽

 午後から琵琶湖岸の紅葉の様子を見がてらカヌーを漕いできました。いつもの長命寺周辺では紅葉はまだ早く、少し色変わりしている程度でした。

 全体が錦に染まるにはまだ1か月近く早い。昨年12月3日の写真も添付しておきます。

 冬鳥の飛来もまだで、独り立ちしたカイツブリがところどころで見かけられました。

 いつもだとサギがとまっている岩に珍しくカワウが落ち着いた様子で一羽止まっていました。大量に繁殖して魚を食べて、漁の妨げになったり、糞害で嫌われ者になってしまったカワウ。しかし、このように一羽だけを見ると、お洒落な白い頬毛と漆黒の羽毛に覆われた姿には気品が漂う。

誕生釈迦仏立像、阿弥陀如来坐像、如意輪観音像

 帰りに市の銅鐸博物館に寄ってきました。企画展「近江湖南に華開く宗教文化 -野洲・守山の神と仏-」が開催中。

 これまでにも展示されて見たものもありましたが、所見のものが多く、見応えのある展示でした。

 なかでも、仏像と仏画には素晴らしい、というより、ありがたいという表現がふさわしいものが多くありました。

 残念ながら写真では紹介できませんが、いくつかは博物館のホームページに掲載されています。チラシのコピーを付けておきます。

 まず、誕生釈迦仏立像(守山市・大光寺・奈良時代)。小ぶりで細身の優美な釈迦誕生仏。「天上天下唯我独尊」を表すとされる、天を指す右手がまっすぐに上でなく、左側にしなやかに曲げられているところが優美で蠱惑的。

 阿弥陀如来坐像(重文・野洲市・聖応寺・平安時代)は等身大の端正な仏像。沈思するかのような伏目が心に響く。 

 阿弥陀如来立像 (西林寺・野洲市・鎌倉時代)は端正ではあるが温かみのある尊顔、人の悩み苦しみも、また喜びもそのまま受け入れてくれそうな姿。

 いちいち上げていけばきりがありませんが、仏画では如意輪観音像(重文・野洲市・法蔵寺・鎌倉時代)が素晴らしい。右ひざを立てた半跏像。身体は引き締まっているが、顔は丸顔でふくよかで、目は円(つぶ)らな瞳のごとくはっきりと開けられ、包容的。全体に異国的な趣があり、真っ赤なパンタロンがお洒落。パンタロンが短めで、露わになった左足首から先が覗いていて、こちらも蠱惑的。

 

 

存覚の「教行信証」註釈書「六要鈔」

 最後に一点。文書で「六要鈔(ろくようしょう)」(野洲市・錦織寺)。展示されているのは、江戸時代に筆写されたものだが、存覚(ぞんかく)が書いた親鸞の「教行信証」の註釈書。存覚は親鸞の曾孫である覚如(かくにょ)の長男で鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍。存覚は親鸞玄孫にあたり、錦織寺四代。

 ちょうど今、存覚が書いたとされる親鸞の異伝である「親鸞聖人正明伝」を読んでいるところなので、とりわけ興味を引かれました。

 紹介したい展示はまだまだありますが、1127日までの開催なので出かけられる人は自分の目で見られることをお勧めします。