知事の高専設置表明は昨年11月 なぜ、一昨年10月の市長選の公約に栢木候補は「高等専門学校の誘致」を掲げたか?

 先日、市内小学校での教員によるいじめ事件について栢木市長が教育長や「市教育委員会は、きちっと対応」していると発言したことを紹介しました。その時に、栢木市長の2年前2020(令和2)年10月の市長選の法定ビラから教育について公約の部分を添付しました。その時は触れませんでしたが、その中に「高等専門学校の誘致」があることに気づき驚きました。

 滋賀県の三日月知事が進めようとしている高専設置は、そもそも、いつ、どのような経緯で出てきたのか?

 去る9月20日の立地決定報道では、次のとおりになっている。

 「高専は技術人材を確保したい経済界の要望を受け、三日月知事が昨年11月、県立での設置を表明した。」(読売新聞2022年9月20日)

 高専設置の知事の公式表明が昨年11月。なぜ、2年前の一昨年、2020年10月の市長選の公約に栢木候補は「高等専門学校の誘致」を掲げたのか?

 

 

県が「高専の設置を国に要望した」事実の記載はない 県の構想骨子は今年3月 栢木候補はどの情報をもとに高専誘致を公約に掲げたか?

 

 ただし、同じ報道には次のようにある。「県は当初、高専の設置を国に要望したが、国は少子化を背景に応じず、知事が県立での開校を決断した。」(読売新聞2022年9月20日)」。ということは、その前に、知事が国立高専の誘致表明を行っており、栢木候補はそれをもとにして、2年前の市長選の公約として、国の「高等専門学校の誘致」を掲げたのか?

 そこで、県のホームページにある、2022年3月10日付けの「『令和の時代の滋賀の高専」設置に向けた検討」から経緯を拾うと次のようになる。

 

①令和元年度、高等専門人材の育成に向けた庁内検討会を設け、有識者や関係者への意見の聴き取り、企業へのアンケート調査などを踏まえた議論

②令和2年度末に「中間まとめ2020」

③令和3年度、「令和の時代の滋賀の高専」設置に向けた懇話会を立ち上げ「令和の時代の滋賀の高専」構想骨子(令和4年3月策定)

④令和4年9月、高専設置場所を野洲市旧野洲川跡地に決定

 

 以上のどこにも、「県は当初、高専の設置を国に要望した」事実は記載されていない。実質的には、当初から県立を想定していたのか?

 ところで、県の懇話会による構想骨子が出たのが、今年、令和4年3月。令和2年10月段階で栢木候補はどのような情報をもとに「高等専門学校の誘致」を公約に掲げたのか?

高専新設は三日月知事の1期目の選挙公約だった 

 ネットで情報を調べていると、次のような記述の文章に行き当たりました。

 「高専の新設が三日月知事の1期目の政策集に掲げられてから8年が経過しましたが、この間、川端達夫元文部科学大臣や京都大学名誉教授の吉川暹(すすむ)先生達のはたらきかけで動き出した高専の新設事業が今回の設置場所の決定により一気に進み出したことに大きな感慨を覚えています。」

 これは、滋賀報知新聞の2022年10月4日の「県政NOW」というWEB記事。滋賀県議会の今江政彦議員の寄稿記事。高専の新設が三日月知事の1期目の政策集(マニフェスト)に掲げられていた、言い換えれば公約だったことになる。