「県は当初、高専の設置を国に要望したが、国は少子化を背景に応じず、知事が県立での開校を決断」

 先日来、滋賀県の高専を話題にしてきたのは、それが野洲市に立地することで新病院整備にマイナスの影響が予想されるからです。病院整備と並行しての高専のグラウンド等と河川防災ステーションの整備は荷が重い。

 とは言っても、県立高専に関しても何度も書いたようにその実現と持続可能性は厳しく、県民としては心配。

 国立高専の誘致ならまだしもであると以前書きましたが、今回の報道で、国立高専の誘致が実現しなかったので、県立で設置することになったことが明らかになった。次のとおりです。

 「県は当初、高専の設置を国に要望したが、国は少子化を背景に応じず、知事が県立での開校を決断した。学生を集めるには、独自色を打ち出す必要がある。」(読売新聞2022年9月20日)

 これと符合する報道も次のとおりある。

「県立工業高校の関係者の中には『少子化の中、県立高専が新設されると、少なからず学校運営に影響が出るだろう』と懸念する声がある。」(中日新聞2022年9月21日)

 

 

誘致の失敗を自前でやり失速の事例 旧成人病センターに研究機関の独自設置等

 この報道を読んで思い出したこと。それは、国等に要望して、それが実現しなかった場合に、県が自前でやって結果的には初期の目的が達せられなかったことが何度かあること。

 県が国等のプロジェクト(事業)を誘致しようとして努力し、それが実現しなかった場合、本来ならそこで終わるのが常道。しかし、その場合でも、独自に立ち上げた例がいくつかある。今すぐ思いつくのは、「国立研究開発法人 国立長寿医療研究センター」と「ミシガン州立大学連合日本センター」。

 「国立長寿医療研究センター」については今から30年余り前、その誘致合戦に参加してかなりの力を入れた取組みをした。しかし、最終的には下地のあった愛知県に立地。しかし、滋賀県の当時の知事はそこで諦めず、旧成人病センター(現県立総合病院)に研究機関を独自に設置した。それなりの成果はあったが、滋賀県規模の県単独施設では無理があり、結果的には解消。

 次の「ミシガン州立大学連合日本センター」。これは国のプロジェクトではない。この施設は、現在も活動し、機能を発揮してはいるが、本来は、ミシガン州立大学のキャンパスが立地して正規の単位が取れる機関の誘致であった。いわゆるバブル経済期の当時、国外の大学のキャンパス誘致は全国的なムードであった。

 しかし、結果的にそれが実現できなかった。しかし、当時の知事はそこで諦めず、現在の彦根市にある施設を実質的には県独自で立地させた。

 今回の県立高専がこれらの二の舞にならないこと。それに付き合って、野洲市の新病院整備が頓挫しないことを願っています。

 

 

三日月知事の県立高専公約が栢木市長の病院半額公約の二の舞にならないことを願う

 ところで、県立高専は今年7月の知事選での三日月候補の公約であった。それも、知事選期間を挟んで公募による県内市町の誘致合戦まで展開させた。報道では次のとおり。

「不透明感残る選考  県立施設の設置場所の決定権は、最終的には三日月知事にあり、必ずしも公募して決める必要はない。それでも候補地を募ったのには、高専の開校に向けた機運を高める狙いもあった。」(読売新聞2022年9月20日)

 結果から見れば、「高専の開校に向けた機運を高める狙い」よりは知事選での求心力が狙いであったとみられても仕方がない。そこで思い起こされるのは、一昨年の市長選での栢木候補の病院現地半額建て替え公約。三日月知事の県立高専公約が栢木市長の病院公約の二の舞にならないことを願っています。それにしても、どちらが師匠でどちらが弟子なのか?

  結末が暗くなったので、今日の写真を付けておきます。