「事業化から40年、完成が見えてきた」

 今日ネットを見ていたら、国道8号野洲栗東バイパスの特集記事が、技術・建設専門雑誌に出ていました。標題は、「事業化から40年、完成が見えてきた国道8号野洲栗東バイパス」(日経クロステック2022年8月25日)。

 「国道8号野洲栗東バイパスの2022年7月時点の様子をリポートする。」として、各工事個所の写真付きの詳しい記事。

 ちょうど1年前の2021年8月26日に「野洲市 国道8号野洲栗東バイパス令和7年秋開通予定・・・」と題したブログで、経緯と当時の現況を紹介しました。

25年秋暫定2車線での供用を予定している。事業費は約650億円」

 今日の記事は要領よくまとめられているので、一部を引用して紹介します。

 「国道8号野洲栗東バイパス事業  滋賀県野洲市小篠原から栗東市手原までの4.7 kmを結ぶ片側2車線、計4車線のバイパス道路。県内の主要国道であり、名神高速道路の栗東ICへのアクセス道路でもあることから交通量が計画容量の2倍を超えるなど慢性化していた混雑や渋滞の緩和のために1982年度に事業化された。しかし周辺住民などの反対が強く、2000年に都市計画決定がされたものの着工できなかった。12年に自治体3市(野洲市・守山市・栗東市)の市長を中心に「国道8号野洲栗東バイパス整備促進期成同盟会」が設立され事業が具体化。16年度にようやく工事着手にこぎ着けた。当初は22年度までの供用を目指していたが用地取得などが遅れ、22年8月時点で25年秋暫定2車線での供用を予定している。事業費は約650億円」(日経クロステック2022年8月25日)

事業がフェニックスのように蘇り、開通見通しが立った裏にはドラマが

 昨年のブログで紹介したように、このバイパスは約40年前の1982(昭和57)年にすでに事業化された。しかし、その後2000(平成12)年に都市計画決定。しかし、旧町時代からの事情で、事業は手つかずで、まったく止まったままであった。実質的には誰も動かず、実現のための組織もなかった。ただ現状は、1970年代からすでに県内有数の慢性渋滞区間で事故も多かった。バイパスが開通すれば、、酷い時には渋滞で30分近くかかっているところが、国道1号と名神栗東インターへ5分程度で繋がる。

 その後もバイパスについては事業が止まっていた経緯を含め何度かブログで紹介しました。

 ネットの特集記事にある「周辺住民などの反対が強く」というところは、補足が必要。

 事業化されて以後に、当時の旧町が巨大な事業所誘致のための農地転換の代償として、計画法線のど真ん中で農水省の圃場整備事業を実施した。その際に、農地所有者に対してバイパスは消えたと説明していた。当然、農地所有者はこの話を信用したし、まして、自己負担で圃場整備事業に費用負担したのだから、その後の動きには反対した。もとから大きな反対の動きがあったわけではなかった。

 行政の嘘の付けは大きく、地元では、実質的には完全に消えていたバイパス事業。それが、様々な人の努力と協力によってフェニックス(不死鳥)のように蘇り、開通の見通しが立った裏にはドラマがある。

 貼り付けた写真は、今日の状況です。