タンゴの革命家 「踊れないタンゴ」

 夜と昼の温度差が開きだしたのか、山際のモミジが色づきだしていました。

 ところで、十数年前に出た後、手に入らなくなっていたアストル・ピアソラの「ネクスト・タンゴ」のDVDが8月に再発されたので、早速手に入れて楽しみました。その後、手持ちのCDとネット配信でピアソラの演奏に浸っています。

 ピアソラの音楽と演奏にはある程度親しんできたが、この映像作品を見て、あらためて、その素晴らしさとエネルギーを実感しました。とりわけ、続く天候不順と8月12日の病院関連議案の臨時議会以降の鬱陶しさを癒やす清涼剤になっています。

 親しんでいる人には余計なことだが、アストル・ピアソラ(1921年3月11日 - 1992年7月4日)は、アルゼンチン出身のタンゴを基調にした作曲家で、自らバンドネオン奏者として自作の曲を演奏した。自他ともに認める、タンゴの革命家。当初地元アルゼンチンでは「踊れないタンゴ」と強い批判にさらされた。今回のDVDの再発売は、ピアソラ没後30年が名目になっている。

意思と努力と天分が一流の音楽家との出会いを実現し、20世紀音楽の革新者ピアソラを生んだ

 DVDには40分余りのドキュメンタリーと3曲のライヴ演奏の映像が収録されている。ドキュメンタリーはピアソラの1986年のインタビューの間に演奏映像が挟まって構成されている。また、ライヴ演奏はピアソラが愛する父親の死にささげた「アディオス・ノニーノ」他2曲。オーケストラは、ピンカス・スタインバーグ指揮のケルン放送管弦楽団で1986年の収録。

 もちろん演奏も良いが、インタビューでのピアソラの語りが面白い。特にはじめの辺りで、音楽を目指すきっかけの話。

 1939年、ピアソラ18歳の時、ブエノスアイレスのコロン劇場でのアルトゥール・ルービンシュタインのピアノ演奏を聞いて大いに感激。その後、家に帰ると彼はルービンシュタインのために一気にピアノ協奏曲を書き上げ、自ら言っているように、無謀にもルービンシュタインの滞在先を訪れた。

 ルービンシュタインは優しく応対してくれ、オーケストラのパートがなければ、ピアノソナタか組曲だと教えてくれた後、音楽が好きかと聞いた。ピアソラが、もちろんだと答えると、当時アルゼンチンで有名な指揮者であったフアン・ホセ・カストロに紹介してくれた。そして、カストロがアルゼンチンを代表するクラシック作曲家のアルベルト・ヒナステラに紹介してくれて、1939年にヒナステラの最初の弟子になり、音楽の勉強を開始した。ヒナステラに6年間師事した後、パリに留学して、ナディア・ブーランジェに1年間教えを受けた。彼女によって、ヨーロッパのクラシックでなく、タンゴを原点とする作曲への気づきを与えられた。

 ピアソラはタンゴはもとはごろつきや娼婦の音楽だったと語っている。これは、見下したり卑下しているのではなく、エネルギーの源泉。

 なお、ナディア・ブーランジェは、1887年生まれで20世紀前半に活躍した高名なフランスの作曲家で音楽教育者。また、指揮者、ピアニストとしても活躍。指揮者としては、ボストン交響楽団などを指揮し、女性指揮者の先駆け。

 このように見てくると、ピアソラの意思と努力と天分が当時一流の音楽家との出会いを実現し、タンゴのみならず、20世紀音楽の革新者ピアソラを生んだことわかる。

アルゼンチンの音楽土壌 かつての繁栄の象徴コロン劇場

 ピアソラの作品は本人の演奏だけでなく、クラシックの演奏家をも触発し、優れた演奏を生み出している。ヴァイオリンのギドン・クレーメルの一連の演奏やチェロのヨーヨー・マ等々。生誕100年だった昨年にはマルタ・アルゲリッチやチェロのゴーティエ・カピュソンなどが参加したLP も出た。なお、アルゲリッチは同じくアルゼンチン出身でピアソラより20歳若い1941年生まれ。

 なお、ピアソラがルービンシュタインの演奏を聞いたコロン劇場(テアトロ・コロン)は、かつてのアルゼンチンの繁栄の象徴で、世界有数の歌劇場。第2次世界大戦中、ナチス・ドイツに追われた当時ベルリン国立歌劇場音楽監督を務めていたエーリヒ・クライバーが主席指揮者を務めた。その息子で天才的な指揮者カルロス・クライバーが音楽の勉強を始めたのはブエノスアイレス。

 あと、巨人的な活躍をしているピアニストで指揮者ダニエル・バレンボイムも1942年アルゼンチン生まれ。祖父母はユダヤ人排斥から逃れてアルゼンチンに移住したベラルーシとウクライナの出身。 

 コロン劇場の雰囲気の紹介に、アルゲリッチとバレンボイムのコンサートCDのジャケット写真を入れておきます。