「行き違いの経緯、説明を」 地域医療連携推進法人への加入経緯

 昨日7月6日の栢木市長のパワハラ臨時記者会見の今朝の新聞報道は、ほとんどが昨夜のテレビ報道をもとに紹介したとおり。ただ、目を通したなかでは、1紙だけが、評価を加えた記事を報道。

 「行き違いの経緯、説明を」の見出しで、3月の議場での市長のパワハラ言動の原因となった、地域医療連携推進法人加入についての病院事務部長と栢木市長の答弁の齟齬(そご)について説明が必要であると論じている。記事の引用では分かりにくいかもしれませんが、これは昨日、記者会見のライブ配信をもとにして紹介した問題です。

 「第三者委は『市長は書類の提出により、法人へ加入する認識があった』との判断を示した。

 この点を会見で質問すると、栢木市長は『今まで虚偽のことを申し上げているわけではない』と主張したが、『第三者委の答申書に対する申し開きは、幹部職員のことを考えると不適切だと思う』として、コメントは控えるとした。しかし、事実はどうだったのか、なぜ職員との間に行き違いが出たのか、市長は丁寧に説明する必要がある。その姿勢こそがパワハラの再発防止につながるのではないだろうか。」(毎日新聞2022年7月7日)

パワハラの原因の事実解明なしに、被害者への真の謝罪も再発防止もない!

 まさに記事の指摘のとおり、パワハラの原因となった事実を明らかにし、その検証もしないで、パワハラの再発防止はできない。

 したがって、第三者委が提言した、特別職と一般職の協議経過の記録作成や外部相談窓口の設置などよりも優先度が高い。

 今回のパワハラ問題の根幹は市の組織の長の表面的な行為の問題でなく、人間としての問題であり、制度で解決できるものではない。パワハラの原因となった事実の解明なしに、被害者への真の謝罪も再発防止もない。

市長のパワハラ言動の根底に被害者意識? 人間的に強く、心にゆとりのある人間は暴言を伴う言動を行わない

 ところで、昨日の記者会見全体の動画を見て思ったこと。それは、市長のパワハラ言動の根底に被害者意識があるのではないかということ。

 いうまでもなく、パワハラの要素の1つは、優越的な関係を背景とした言動。そして、今回は市組織の最高位にある市長が幹部職員に対して行った言動が対象。

 しかし、組織の上下関係は別にして、経験からすると、一般的に、人間的に強く心にゆとりのある人は暴言を伴う言動を行わない。万一その衝動があっても、自分で制御できる。したがって、昨年から今年にかけての栢木市長の状態はこの逆であったことになる。そして、弱い人は、自分よりさらに弱い立場の人にはけ口を向けがち。

民意は市長にあるのに、職員によって妨げられているとの思い

 そしてそこに潜在的な被害者意識が重なった。第三者委の答申書を読んだうえで、会見の動画を見て気づいた市長の被害者意識とは次のようなこと。

 市長は昨年5月のパワハラ言動が起こった理由は、駅前に病院をつくらないという市長の公約を実現しようとした。しかし、職員たちが駅前にこだわって受け入れようとしない。民意は市長の側にあるのに、それを職員によって妨げられている。市長自身はその被害者であるという思い。そこで自分を制御できなくり、暴言を伴う言動に及んだ。

法人への加入意思なく、書類提出しただけ 事務部長が異なる答弁をし被害を被ったとの間違った被害者意識

 また、今年3月の市議会では地域医療連携推進法人への加入問題。市長は昨年6月に地域医療連携推進法人に対して野洲市が反社会的団体でないことの「表明・確約書」を市長独断で書面に署名し個人印を押印して提出した。その後、同法人の ホームページに参加法人として野洲病院の名称が掲載されていた。しかし、市長は加入の意思はなく、単に書類を提出しただけと主張。

 ところが、議会において事務部長がそれと異なる答弁をした。したがって、市長はここでも事実誤認に基づく被害者意識をもって、暴言を伴う言動に及んだ。

 なお、第三者委は答申書で事務部長の答弁が正しいとし、市長の主張を認めなかった。しかい、市長は昨日の会見で議会で虚偽答弁を行っていないと断言。ということはつまり、第三者委の答申書の内容を否定した。

 先に紹介した今朝の新聞記事では、市長はこの問題を明らかに説明する必要があると主張していることになる。

第三者委経費150万円超の半分以下の給料削減を重いとすることも被害者意識の現われ

 この他、昨日の会見動画でのこと。市長は会見室に入ってきて、政策調整部長、総務部長、政策調整部長という、いわば自分の一番の腹心ともいうべき職員の前を通るときに、一声もかけず通り過ぎた。退室時も同様。これは何を表すのか?

 そのような冷めた関係なのか?それとも、緊張が過ぎて声をかける余裕がなかったのか?いずれにしても、組織の長としてのゆとりがない。

 そして、以上述べてきた、市長の心の底にあると推測される被害者意識の明白な表れが給料の3割、3か月削減。

 昨日の会見で記者が疑問を呈したように、第三者委の経費だけでも150万円を超えており、70万円あまりの削減額と整合性が取れない。このような場合、少なくとも市税負担分を弁償する額を設定するのが普通。それをしないで、その半分以下に設定し、市長はそれを重い処分と考えていると公言。ここにも、本当に悪いのは市長自身でなく、実のところ自分は被害者なんだ。だから自分が負担すべきものではないという市長の意識が現われている。

盟友の市長擁護発言も被害者意識の現われ 被害者意識を脱して成果を生む姿勢で仕事に向かうことが期待される

 最後に、別のところからもう一例。7月5日の最後の市民説明会での市長の盟友である太田元議員の発言。彼は、野洲市に病院は要らない。本来市民病院を持つべきでないのに前市長がやってしまったので仕方がない。そのため、栢木市長は苦労していると、市長を擁護する発言をした。ここには、栢木市長はじめその支援者たちの基本的な心情が現われている。それは、栢木市長は前市政の被害者であるというもの。

 そういえば、体育館病院の資料や駒井次長の説明のなかにも前市政のことが亡霊のごとく度々登場する。

 栢木市長は、いつまでも前市政や職員の被害者のつもりで、愚痴を繰り返したり、怒りをぶつけていてるばかりでは、建設的な仕事ができない。

 自ら手をあげ、民意を得て市長になったからには、すべてを引き受けるつもりで、早く、といってもずいぶん時間とお金、そして職員等の働きを無駄にしたが、いずれにしても、その状態を脱して成果を生む姿勢で仕事に向かうことが期待される。