市内に病院は不要の声!
 先日、駅前病院を訴えるチラシ配りをしている市民の人たちから聞いた話。その人たちは、自分たちがつくったチラシを配るだけでなく、連携して活動している医師会のチラシも市内を手分けして配り歩いているとのこと。
 配っているときの市民の反応、またチラシに書かれた連絡先に寄せられる意見。それらは、病院が二転三転して展望がなくなっていることへの不安や怒り。また、活動への激励やねぎらい。このようなものが少なくない一方で、市内に病院は要らない。隣の市の病院、具体的には栗東市にある済生会滋賀県病院や県立総合病院に行けばよいという反応もある。そうではないと説明に努めているが、歯がゆい思いをすることも多い。このような否定的な反応は地域的に偏りがあるが、かならずしも、隣接市に近い地域の声ではないということも不思議。


どちらがニワトリかのおおよその見当は付きそう
 そもそも、日頃の検診やいざという時の治療のために病院は欠かせない機能。それなのに、身近なところに病院は要らない。隣接市の病院で十分という考えは理解しがたいと、チラシ配り活動の人たちは語っていました。
 確かに、普通に考えれば、不思議な意見ですが、同様の意見は、奥山文一郎議員も議会でだったかで述べていた。奥山議員は、このような市民の意見を代弁しているのか?それとも。奥山議員の影響でこのような意見を持つ市民がいるのか?どちらがニワトリで、どちらが卵か?
 なお、チラシ配り活動の人たちの感触では、病院要らないの声は栢木市長の支援者が多いと思われる地域に多いとのことなので、どちらがニワトリかのおおよその見当は付きそう。


病院で財政破綻するなどの情報が原因? 栢木市長はもとは病院不要論者
 ところで、なぜ病院要らないの声が出てくるのか?まず、そもそも済生会病院や県立総合病院と市立野洲病院とでは機能が違う。前者は、かかりつけ医か野洲病院などの紹介状をもっての診察。前者の病院があるから市立野洲病院が要らないということにはならない。実際、民間病院の時代から半世紀間、市民の医療に貢献してきた。
 普通の市民感覚からすれば、まちに病院がないより、あった方が良い。ところが、病院は要らないという意見が出る。その原因を想像すると、市立病院ができれば税金が上がる、市の財政が破綻するという根拠のない情報がある時期から流されていたし、今も流されているからではないか?
 もともと栢木市長は議員時代、仲間の議員や支援者とともに、病院不要論者であった。そもそも病院現地半額建替えという、常識的にはあり得ない公約の根底には、今も病院不要論が隠れている。そうでなければ、無責任な公約を掲げられない。
 ところが、ここにきて、軟弱地の地盤造成、総合体育館の改修工事、そのうえ、稲垣議員の強硬な主張を飲むとするなら、199床の病床を持つ病院の結論を市長は出したことになる。その体育館病院は整備費がかさむことは当然、患者と職員用のシャトルバスの運行費など運営費も膨らむ。逆に、駅前ほどの利用者は見込めない。市長公約の半額どころか駅前病院を上回るおそれも多分にある。

病院不要論は栢木市長にとってプラスかマイナスか?
 ところで、当時、病院反対の議員たちが脅し文句として使っていた言い回しでネット検索すると、古い記事が上がってきました。前々回の市長選の時の記事。ここでの県幹部とはこれまで何度か紹介した医療行政の責任者。
 「県幹部が十一日に守山野洲医師会の研修の名目で野洲市の開業医十人を集め、さらにその場には栢木陣営の市議一人が同席していた。県幹部は、『市立野洲病院の整備が進めば第二の夕張市になる』として市の計画に反対するよう説得して」(2016年10月20日滋賀報知新聞)
 栢木市長たちに影響されて病院は不要と思っている市民たちの意見は、体育館病院を打ち出した栢木市長にとってプラスに働くのか、マイナスに働くのか?
 少なくとも、今わかっていることは、冒頭に述べたように、駅前病院に期待して活動している市民や医師会の先生たちにとっては、使命感からめげないで頑張ってはいても、やはり気をそぐ要因になっています