要介護2以下の訪問介護、通所介護は自治体の総合事業に

 数日前に気になるニュースがありました。一般紙のサイトではなく、介護関係のサイトで伝えられている。

 「要介護2以下の訪問介護、通所介護は総合事業に 財政審、提言を政府へ提出」(介護のニュースサイトJoint2022年5月26日)という見出し。

 記事から柱になる部分を引用します。

 「財務省の審議会は25日、政府への提言『歴史の転換点における財政運営』をまとめた。」

「要介護1・2の高齢者に対する訪問介護、通所介護について、要支援と同様に市町村の総合事業へ移すべきと主張。」

 「訪問介護、通所介護のうち、特にホームヘルパーの生活援助に言及。『全国一律の基準ではなく、多様な資源の活用を可能とすることが効率的』と持論を展開した。」

 「厚生労働省は今年の年末にも大枠の方針を固める予定。こうした提言の扱いは大きな焦点となる見通しだ。介護現場の関係者からは強い反発の声があがっているが、保険料を負担する経済界などは具現化を働きかけている。」

 「このほか、全てのサービスで高齢者の自己負担を引き上げ、2割負担、3割負担の対象者を拡大することなども注文した。」

地域の実情に合わせた多様な人材・多様な資源とは?

 要するに、現行では要介護1・2の人は介護保険による訪問介護・通所介護サービスを利用しているが、財政健全化のために、それを利用できなくし、自治体の行う地域支援事業(総合事業)へ移行させようというもの。これは、過去に要支援者に対して実施されたと同じことを、次は要介護1・2においても実施しようというもの。

 参考に、ニュースの元である、財政制度等審議会の「歴史の転換点における財政運営」(令和4年5月25日)から問題のところを引用します。

 「要介護1・2への訪問介護・通所介護についても、生活援助型サービスをはじめとして、全国一律の基準ではなく地域の実情に合わせた多様な人材・多様な資源を活用したサービス提供を可能にすることが効果的・効率的である。」

 ここでの、「地域の実情に合わせた多様な人材・多様な資源を活用したサービス提供」とは、言葉は素晴らしいが、実際のところは、老人クラブ・自治会・ボランティア・NPO等。そして、この等には民間による市場でのサービスも想定されている。参考に、このことを示す国の資料を添付しておきます。

地域の実情に合わせた多様な人材・多様な資源の活用は机上の空論

 以前も指摘したように、自治会や老人クラブが弱体化している中で要支援者への対応も十分機能していない。また、民生委員も高齢化と成り手の不足。このような状態の中、財政健全化の名のもとに、要介護1・2まで介護保険から外そうとしている。当然、介護サービス事業者にとっても仕事が減るので歓迎されない。提言のねらいは、介護サービスの資源(人手)を介護度の高いところに回させようとしているのだが、簡単な話ではない。

 いずれにしても、地域の実情に合わせた多様な人材・多様な資源の活用は机上の空論。別の仕組みが必要。

補正予算案の財源は全額赤字国債の新規発行 短期国債の多くは外国人投資家が保有者

 もちろん、提案の総論で述べられている、「我が国の債務残高が累増する最大の要因は、社会保障をはじめとする受益(給付)と負担のアンバランスである。こうした事実から目を背けることなく、まず達成すべき 2025年度のプライマリーバランス黒字化などの財政健全化目標を堅持し、危機に対応できる余力を持った持続可能な財政構造の確立に向けて、歳出・歳入両面の改革を着実に進めていかなければならない。」はもっともそうだが、問題は介護が必要な人と家族の生活が成り立つか、地域が持ちこたえられるか?サービスの切り下げと負担増は、民間の安易な知。

 ところで、昨日27日、一般会計の歳出総額2兆7009億円の2022年度補正予算案が衆院を通過しました。この財源は、全額赤字国債の新規発行。提言の「2025年度のプライマリーバランス黒字化」と足元の動きは逆向き。

 これまでは、国債は国民が買っているから国内のお金の移動だから問題ないとされてきた。ところが、今回の提言では、「一方で、新型コロナ対策のために巨額の補正予算が繰り返し編成される中、大量の新規国債の消化のため、満期1年以下の短期国債にその多くを依存せざるを得ず、日本国債は金利変動に対して脆弱な構造にある上に、短期国債の多くは外国人投資家が保有者となっている。」と指摘。

大波に抗して市民の安心確保の要は、自治体と中核医療 

 かたい話が続きましたが、要するに、このような財政運営が続けられる限りは、介護保険に限らず、福祉サービス全般、そして、同じように財源に税が投入されている保健・医療サービスを含め、その削減と市民の負担増の流れは止められない。もちろん、このような民間の安易な知に習う従来型の財政運営が転換されなければならないが、それまではこの流れに対処する覚悟が必要。

 その覚悟とは、言い換えれば備え。そしてその備えとは、これまた、以前にも触れたように、端的に言えば自治体での取組み。その意味では、今回の提言や従来の国の方針と同じように見えますが、そこは違う。

 国等の方針では、自治体も国や都道府県と同じように、直接現場の課題に対処するのでなく、いわゆる陸(おか)に上がらせている。そして、老人クラブや自治会等の活動を支援させようとしている。しかし、これでは実が上がらない。そうではなく、自治体が矢面に立って、老人クラブ・自治会・ボランティア・NPO等と連携して、今後一層進む国の福祉サービス切り下げによって生じる大波に抗して、市民の安心を確保する。そして、その重要な要(かなめ)は先日紹介したように、地域の中核医療です。

モタモタ後退の繰り返しでは、大波を乗り越えられない 中核医療の確保は市民共通の課題

 このような大きな流れにもかかわらず、野洲市で起こっていることは、使うあてもないのに駅前の市有地を空けて、現に健全に機能し、市民に貢献している病院を、市の中央などと称して、不便なところに持っていく。いや、結果的になくしてしまうために、時間とお金と労力を無駄にしている。これまでのように、二転三転とモタモタ後退の繰り返しでは、大波を乗り越えられない。

 一生の間に病気にかからない市民はごくまれにはいるかもしれない。しかし、年を取らない市民はいない。地域の中核医療の確保は市民共通の課題です。