荒天を楽しみながら漕ぐ

 昨日は急に誘われて、午後カヌーを漕ぎに琵琶湖に出かけました。天気予報では午後は空模様が急変して荒れるという予報。それを承知のうえで、いつもの長命寺港から6kmほど先の宮ヶ浜あたりを目指して漕ぎ出しました。

 はじめはどんよりとした曇り空でしたが、しばらくすると空が暗くなり、雨が降り出し、強い北風と高い波が。それでも、長さ6mを超える3人艇であるし、慣れたフィールドなので、むしろ荒天を楽しみながら漕ぎ続けました。一旦宮ヶ浜にあがり、もう一度浜から漕ぎ出すときに打ち寄せる波に少し難渋しましたが、少し水に浸かりながらも無事出廷して、帰路につきました。戻りは順風であったことと、天候もやや収まって、ツーリング気分でした。それでも、時おり氷雨が降ってきました。

観光船の痛ましい事故 運航管理や監督官庁のずさんさが無念さを増幅

 このような状況だったので、途中写真を撮る余裕もなく、漕ぎだす前の艇の写真しかありません。ところで、漕ぎながら思っていたのは、知床の観光船の痛ましい事故。26人の尊い命が一瞬に失われた。おそらく昨日の私たちとは違い、乗客たちは楽しみにしていた知床半島のツーリングに、心弾む思いで安心して船に乗り込んだはず。それが、このような結末になったことは、痛ましい。

 さらに、その無念さを増幅することは、報道されている船の運航管理や監督官庁のずさんさ。結果が出てから言っても仕方がないが、そこがしっかりしていたなら、事故なり最悪の事態を防げた可能性は十分にある。

 報道では、運航管理者が事務所に不在で、無線も電話も繋がらない状態。また、その連絡・通信手段についてもほとんどのエリアがカバーされていない携帯電話への変更を監督官庁はエリア確認もなしに認めていた。まさに人災の側面が強い。

なぜ滋賀県は監督・指導を放棄し迷走に加担するのか? 本来の役割に期待!

 そこで、もう一段の連想に。決して牽強付会(けんきょうふかい)ではない。それは、現野洲病院が極めて危険な施設であるとともに医療上の基準を満たしていないことが放置されている。繰り返しになりますが、駅前新病院を前提にした現野洲病院というセットもの。

 ところが、市長はAブロック病院の最終設計業務を止めた。それに差し替えて、すぐ代わりの事業が動かされるのならまだしも、三転四転の迷走状態で、現状では新病院のめどは白紙。観光船でいえば運航管理の役割に当たる病院事業管理者である市長が責任を放棄した状態。

 そしてもうひとつの問題は、駅前新病院事業が確実に動き出したことを前提にして、老朽化して危険な施設であるにもかかわらず、地域医療継続の観点から新規開院を認めた監督官庁である滋賀県が、その後の迷走状態に対して指導監督を行わないという不作為。

 市立病院の場合は幸い今のところ重大事故には至っていないが、危険さが消えたわけではなく、むしろ高まっている。市長の責任放棄状態は今さら取り立てるまでもないが、監督官庁である滋賀県の責任放棄にもそろそろ目が向けられるべき。いや、実のところは責任放棄どころではなく、滋賀県の医療行政の最高責任者である角野理事が、市の病院評価委員会の委員として、当初は現地建て替えを最後まで主張し、それが破綻した後は郊外での立地を主張し迷走に加担している。

 これは、まさに悲惨な観光船事故とよく似た構図だと思われます。なぜ、滋賀県は野洲市の病院問題の監督・指導を放棄し、逆に迷走に加担しているのかは、今のところ解けない謎です。むしろ本来の役割を果たすことが期待される。そして、野洲市の病院問題が今日の五月晴れのような晴朗さに戻ることを。