「病院がある間に死にたい。」 現病院は老朽化激しく、施設基準満たさず、待ったなし!

 「病院がある間に死にたい。」これは昨日高齢の市民から聞いた言葉。そのようなことは言わないでと励ましましたが、その切実さに共感しました。病院がなくなれば、安心して暮らせない。

 この逆転の発想のような言葉が、皮肉ではなく、自然に切実感をもって語られたことには驚きました。もちろん、「病院がある間に」、新病院を期待しながら、病院問題が迷走するなかで亡くなった市民も少なくない。

 まさに、昨日紹介した医師会のチラシが訴えているとおり、新病院の整備は待ったなし。現病院が「地震で崩壊する危険のある建物で」あることは言うまでもなく、老朽化が激しく、雨漏りや壁の崩落、また、手術室をはじめ施設は現行の基準を満たしていない。これは、旧民間病院の時代に経営難のため、定期的な施設改修が行われていなかったため。それを、駅前Aブロック病院の整備を前提に市立病院として引き継いだ。だから、5月中に新しい場所の結論を示すなどとのんびりした言葉が市長の口から出てくるようでは、先の高齢者の言葉や医師会のチラシの訴えが出てくるのは当然。

迷走と遅れの釈明なく、5月に託宣を告げるかのような市長の姿勢 異を唱えない議員

 ところで、改めて、市長が5月中に新しい場所を含め病院の結論を市議会特別委員会で示すことの問題点を整理します。

①まず、常識的に見て市長の姿勢の問題。

 市長自身が決断して進めてきた駅前Bブロック病院を明確な理由も示さず保留。その後、4か月近く経った今も熟考中でありながら、それを市民に詫びることなく、5月中に新しい場所を含め病院の結論を市議会特別委員会で示すと、こともなげに言うこと。傍聴者から聞いた様子や報道から受けた印象では、迷走し遅れたことの釈明がなく、逆に熟考の結論を5月には議会に告げ知らせてあげる。このような、いかにも恩恵を与えるかのような態度が見受けられたこと。これに対して、一部の議員を除き大半の議員が導師からの託宣を待つかのような対応であったことにも傍聴者は呆れていた。

議会が市長の附属機関に堕す

②次に評価委員会に諮らないで、いきなり5月に特別委員会で結論を示すという政策形成手続きの問題。

 新病院の結論を出すためには、医療、看護、福祉、医療経済、建築などの専門分野と市民代表の意見をあらかじめ聞くことが不可欠。そのために、市長の附属機関として条例に基づき第三者委員会である評価委員会が設置されている。それを飛び越して、いきなり特別委員会に結論を出そうとしている。これに対し、議会もこの進め方を容認しようとしている。

 このことは、見方を変えれば、議会が市長の附属機関に堕すことになる。いや、附属機関以下。なぜなら、議会は医療や建築などの専門性を有していないから。

熟考の結果の一発勝負の結論は、公約の現地半額建替え案と同様の私案!

③次も政策形成手続きにかかわることで、市長の熟考の結果だけを市執行部の結論案とする問題。

 市長の熟考には、副市長はじめ職員が関与していないことはこれまでに明らかになっている。5月22日の定例記者会見で市長は、「職員に課題の調査や整理をさせている。」(毎日新聞2022年4月23日)と発言。ここからは、職員は市長から指示された作業をしているだけで、熟考の協議には参加していない模様。

 Bブロック病院の場合は、今回のパワハラ疑惑で図らずも明らかになったように、職員を入れた協議の中から出てきた方針。しかし、今回は市長単独の熟考の結果として産み落とされる一発勝負の結論。これでは、公約だった病院現地半額建替え案と同様の私案。それを5月に議会に示して審議させようとしている。この面でも、これまでより事態は悪くなっている。これでは、正常な政策形成になっていない。

 公約の場合は、当選後、条例で定められたAブロック病院の設計業務を止めた後から、私案と言い出したが、評価委員会に検討を求めた。このように見てくると、過去の経緯も無視して、議会が市長の附属機関に堕そうとしている。市民代表としての議会、そしてたちまちの権限を持っている特別委員会の津村委員長の矜持(きょうじ)が期待される。

結論はパワハラを通じて出されたものとの疑念が生じてしまう

④最後は、パワハラ疑惑を抱えたまの市長が出す結論であることの問題。

 これについては以前の繰り返しになるので簡単に。市長は市の30年、50年先を見越した病院の結論を出すと自ら胸を張ってきた。そうであれば、まずはパワハラ疑惑を晴らしてから行うべき。そうでないと、万一第三者委員会でパワハラが認定された場合、認定前と同様の仕事のやり方を改めないで、5月に議会に示す結論なるものもパワハラを通じて出されたものとの疑念が生じてしまう。市議会は、パワハラによって出されたかもしれない結論を受け入れるのか?少なくとも市民はそうならないことを願っています。