争点の核心は単純だが、多様で重大な問題が含まれている

 昨日4月11日に公開陳述が開催された病院の住民監査請求。その概要を伝聞等をもとに紹介しましが、要するに、争点の核心は単純であり、次のとおり。

 長年の検討と合意形成を経て、条例に基づき整備が進められてきた駅前Aブロック病院。その設計業務契約を市長が就任後独断で解除し、出来高払い金等として約4,300万円を支払った。この行為が条例に違反し違法であり、それによって市に損害を与えたかどうかというもの。

 突き詰めたところ、このような素っ気ないことになります。しかし、そこには多くの市民と医療関係者が期待していた駅前新病院の見通しが消えたという深刻な事態に加え、法律、政治、自治、民主主義などの多様で重大な問題が含まれています。まさに、法律、自治、民主主義などの分野の事例研究の宝庫ともいえるほどですが、それらのいくつかについて考えてみます。

契約解除は病院の現地半額建替え公約と同じレベルの粗雑さ いずれも住民監査請求への後付け理屈

 昨日の陳述では、市長は誰かに書いてもらった長い陳述文を棒読みしていた。また、代表監査委員の質問に自分で答えられなかったなど、市長の主体性のなさが表れていたようです。

 いずれにしても、市長は単刀直入に反論ができていない。いくつもの理由をあげて自ら行ったことの正当性を訴えようとしている。理由が沢山あるということは、正当性が高いというより、それが低いためにいろいろかき集めてきたのではないかという逆の見方もできる。

 さらに、もう一段踏み込めば、一昨年11月2日、市長就任後の初登庁日に契約解除を前提にして契約業務の中止を事業者あてに通知した。この時点ではまだ副市長も選任されていなかった。どのようにして、このような離れ業ができたのか?

 このようなことができるためには、この通知に至る市役所内の意思形成と手続きを就任前に行っていたことになる。もし、そうであるなら、契約解除を前提にした契約業務中止の通知発出に関しては、十分な法制度上の検討とチェックが加えられていなかった可能性があります。

 ということは、初登庁日の契約解除というマスコミ受けする劇的なパフォーマンスは、病院の現地運営半額建替え公約が私案であったのと同じレベルの粗雑なものであった。したがって、昨日の陳述での正当性の理由は、住民監査請求が出されてからの後付け理屈。よって、迫力も説得性も弱い。

病院事業設置条例は設置管理条例以上の機能を持つ憲法第94条の自治立法

 このような前提で見ると、病院事業設置条例に対する市長の解釈のいい加減さが理解できる。昨日も、この条例が地方自治法第244条の2に定める「公の施設の設置及びその管理に関する」条例であるので、契約解除は問題ないと主張していた。

 この件については、5月の時に紹介したので、今回は細かい法律論には立ち入りませんが、この条例は、設置管理条例以上の機能を持っており、憲法第94条と地方自治法第14条第1項に規定されている自治立法の性格を持っています。

 昨日代理人弁護士が述べていたように、市民に対する市の義務を定めたもの。さらには、この条例がなければ、医療継続のため、老朽化し基準を満たさない施設を引き継いでの現市立病院の開院を可能にするためにも、この条例は必要であった。

 なお。昨日紹介した、条例の病院と契約解除した病院は違うという、条例に関してのもうひとつ論拠は余りにも些末で常識では通らない。もし、この論理が通るなら、例えば1か月間の約束で借りた車を、返す時になったら、乗り回した分タイヤの摩耗や車体の劣化があり、借りた車とは全く同一ではなく、違う車であると言い張って、返却を拒むことも可能になる。

 

市長の公約は病院をつくらないことであると公言したも同じ

 市長の主張で、改めて興味を引くのは、①契約解除は市長選で示された民意に基礎づけられたものであるということと②契約解除は公約遂行のためであるということ。

 この主張をそのまま素直に受取れば、市長の公約は、そもそも病院をつくらないことであると公言したことになる。

 その理由は、次のとおり。

 市長は、就任直後から病院の現地運営半額建替え公約は私案であると言い出し、時間と経費と専門家の貴重な時間を無駄にした検討の結果、公約断念。この公約断念の公表は昨年3月16日の市議会『野洲市民病院整備事業特別委員会』でしたが、公約である私案が不可能なことは、その前の3月1日の病院の評価委員会で明らかになっていた。しかし、実際はもっと早い段階、多分2月8日の建築専門部会の直後には判明していたはず。

 したがって、市長は現地運営半額建替えが実現不可能なことを知ったうえで、3月4日に公約遂行のため契約解除を行ったことになり、この時点で病院整備は消えた。よって、市長の公約は、そもそも病院をつくらないことであるということになります。だれにでもわかる論理的な帰結だと思います。

 このような理屈に頼るまでもなく、公約遂行のために契約を解除したという言明だけでも、客観的に見れば、公約は病院をつくらないことであると公言したのと同じこと。

報告・質疑応答という手続きと、議案提出・審議・裁決という民主的な手続きとの違いが理解できていない

 冒頭で今回の市長による契約解除は法律、自治、民主主義などの分野の事例研究の宝庫であると述べたように、まだまだ重大で興味ある問題事例が多くあります。とはいっても、切りがないので、2つほどに触れて終わりにします。

 ひとつは、二元代表制の自治のもとでの議会との関係についての誤った考え方。報告・質疑応答という手続きと、議案提出・審議・裁決という民主的な手続きとの基本的な違いが理解できていない。このことについては、全員協議会での報告だけでは民主的手続きにならないことを、請求人の代理人弁護士も昨日指摘していました。

 なお、5月請求の監査結果では、市長のこの考え方を妥当なものとして追認しています。

発生予定であった損害が何かを説明する責任がある

 もうひとつは、昨日も簡単に触れた市長の主張。契約解除は、発生する予定であった損害を回避するために行った。したがって、損害を与えたのでなく、損害拡大を防止したものであるという主張。なかなか巧妙な言い回しであるが、巧妙すぎる。

 このように主張する限りは、「発生する予定であった損害」とは何であるかを具体的に説明する責任がある。ところが、それはされていなくて、単なる印象論。そして、実際には、中途はんぱに終わった設計が無駄になったうえに、元々予定されていた国からの交付金と交付税が貰えなくなって、損失が生じている。

 「損害拡大を防止」どころか、期待されていた病院の展望が完全に壊されてしまったという、巨大な損害が残ってしまった。