有は無に太刀打ちできない!  無によって牛耳られている状態   

 今朝の新聞に今頃になって野洲市の副市長退職の記事が出ていました。新しい情報はありませんが、ひとつだけ思いついたことがありました。それは、「病院整備で市長と意見相違か」(朝日新聞2022年3月22日)という小見出し。これは違うのではないか?なぜなら、市長は年頭からずっと熟考中で、意見なるものを持っていないからです。

 これに対して、副市長は就任当初は現地半額建替え可能、その後はBブロック病院推進の考えを持っていた。このことは、令和2年11月18日の定例記者会見での次の発言で明らかです。

記者… 副市長として市長の現地建て替え方針に賛成されているのですか。

 副市長… 私としても一定可能性があると思っています。第三者委員会で栢木案を一つのベースとして検討しながら、かつ他の案は排除せず検討する必要があると思っています。」

 これを今読み返してみると、「他の案として」当時からBブロックが想定されていたのかとも受け取れます。ともかく、実現性は別として、少なくとも何らかの意見は持っていた。

 したがって、市長と副市長の間にあるのは、意見の相違でなく、意見があるか無いかの違い。これは、議論や妥協では超えられない裂け目。禅の教えではありませんが、有は無に太刀打ちできない。いくら行政経験と人生経験豊かな副市長といえども、刃が立たない。今回の任期途中の退職は来るべくして来た結果といえる。そして、今野洲市は無によって牛耳られている。言い換えれば、ブラックホールに飲み込まれた状態。

名は体を表す 病院整備の予算なく、整備の組織もなくし、年度末で決着? ブラックホールから救い出せる?

 このようなことを思いながら、市のホームページで例の部長会議の記録を開きました。すると、このことを一層実感するとともに、恐ろしさを覚えました。

 3月14日の会議録の「組織・機構の改編等について」の議題の部分。「市民病院整備課は廃止し、健康福祉部内に『地域医療政策課』を設置する」と報告。このあと、例のごとく部長たちから異論や心配の発言があいつでいる。もう副市長の発言はない。少し紹介します。
 「病院整備地の条例改正等も終わり、工事も始まった段階ならわかるが、今、政策的な部署から移管するというのは理解できない。」
 「条例上は駅前Aブロックが病院整備地となっているが、市長はBブロックで整備することを公言されている。政策的に整備の場所を変えるとなれば、それは政策であり、政策調整部が所管すべきではないのか。」

 どれも真っ当な意見です。

 このような意見に対しての市長の返答は次のとおり。

 「県を含め、他の事例等も見たが、地域医療政策とネーミングされている。病院は整備だけが問題ではなく地域医療全体の政策的なことを担っていかなければいけないことを踏まえて『地域医療政策課』という名前にした」。

 すでに課の名前の議論にすり替えられています。これ以上コメントはしませんが、名は体を表す。要するに、新病院整備の予算は付けないし、整備の組織もなくす。これでは、病院整備問題は今年度末で決着と対外的に宣言するのと同じ。

 AとかBとか郊外とか言っている状況ではない。明日23日の予算常任委員会で病院整備をブラックホールから救い出せるかどうかというところまで来ています。