市長は模範的な「ご飯論法」の使い手

 栢木市長が模範的な「ご飯論法」の使い手であることはこれまで何度か紹介しました。議会質問や市長への手紙、また市民との話合いでの回答などで巧みに使ってきた。

 昨年10月5日に開催された市長の「まちづくりトーク」の記録が市ホームページに出ていたので、目を通すと、そこにもいくつかありました。この「まちづくりトーク」は駅前病院の実現を目指す市民団体との間で行われたもの。その時も参加者から聞いて話合いの概要を紹介しましたが、公式記録でも「ご飯論法」が現れています。ひとつ紹介します。

会員

今の野洲病院は老朽化して、1日も早く建てて欲しいという状況です。とにかく、病院建設を優先して欲しい。Aブロックであればすぐに建てられると思う。

市長

今お答えはできないですが、一つお答えできるとしたら今、現野洲病院に指示して、医療機器など古くなってどうしようもないものは全部リニューアルしています。新しい機器を買っています。

 

 参考にもうひとつ、以前紹介した市長への手紙に対する回答も再掲しておきます。

「私は、前市長が計画されました総額120億円という高額な費用をかけ、駅前で病院を建てることに対して反対を訴え、市長に当選しました。しかし、現計画の駅前Bブロックにおける整備については、全く否定してきたわけではありません。」

 言うまでもなく、Bブロックに病院を建てるなどということは、栢木市長以前には誰も発想も計画もしなかった。だから、否定ができるはずがない。

市長の「ご飯論法」は巧妙で、余興としてなら楽しめる

 議会答弁での市長の「ご飯論法」の例は今回は省きますが、このように見てくると、市長の言葉の巧妙な外し方はかなり高度な技で、余興としてなら楽しめる。いや、「ご飯論法」に見えて、それとは異質なもっと高度な技かもしれない。

 いずれにしても、余興の場でなら、それなりの役割はある。しかし、真剣に課題解決に向けた議論が必要な場合には、その場はしのげるかも知れないが、生産性はまったくない。このやり方で、1年数か月が過ぎてた。

「ご飯論法」では組織内の協議や意思疎通が成立せず、生産性ないどころか、危険

 ところで、議会や市民との対話でもこの論法は困ったものですが、市役所の組織内のコミュニケーションは大丈夫かと心配になっていました。協議や意思疎通が成立しているのか?

 そう思っていたところ、今日開いた市のホームページに出ていた部長会議記録にいくつも実例がありました。2月7日の会議録で、その日の午後開催された市議会の市民病院整備事業特別委員会の資料についての協議。かなり長いやり取りが記録されています。そこから「ご飯論法」の例1、2紹介します。

 

→執行部からこれを説明するということは、市長も合意の上で提案していることになる。

→成果物を報告する、と議会には申し上げている。(市長)

→成果物の目的は、もともと発注するのはBブロックで病院が整備できるかどうかということであった。

→Bブロックで整備が可能かどうか精査するために発注し、課題がある中で進んできている。そういう形で今日は出させていただく。(市長)

 

→市長と幹部は意思統一していかないといけない。熟考の結果を早いうちに示していただきたい。(副市長)

→政治家として、40 年 50 年先の野洲市のことを考えての熟考である。考えが決まれば、部長会議でお示しさせていただく。今しばらくお時間をいただきたい。(市長)

危険が行きつくところまで行ってしまっている状況

 短い引用なので理解しにくいかもしれません。詳細は市ホームページで確認いただくとして、会話が成立していないことだけは明らか。なお、このやり取りには、行財政上の重大な問題がありますが、今日の本題ではないので触れません。

 先に紹介した議会や市民との対話でのすれ違いはもちろん好ましくはないが、市役所の幹部会議でのこのありさまは、生産性がないどころか、危険。行きつくところまで行ってしまっている状況が見て取れます。

危険は市の業務に及ぶだけではない  犠牲者に責を負わす動きにも及ぶ

 このような状態が危険であるのは、市の業務や事業が適正に行われないことにあります。すでに、Bブロック病院問題で事実として表れています。

 しかし、それとは別の危険さがあります。これまた今日の本題ではないので、簡単ににしますが、一例としては、すでに紹介した先の特別委員会での稲垣議員の発言。

 稲垣議員は議題と関係ないのに、内閣を変えよと何度か発言した。その意味は、病院事業の担当職員を総入れ替えしろという意味であるようでした。市長がBブロック病院計画を保留し、熟考することになった責任は、市長にあって職員にはないことは明らか。その市長の責任を職員に付け替えようとしている。この発言に対しては東郷議員が即座に異議を唱えた。当然な行為ですが、その指摘内容は人事に口をはさむべきではないということ。もちろんそれも大事ですが、それとともに重大な問題は公開の場で、責任のない者に責任を押し付ける発言。会議場には17人の議員がいましたが、東郷議員以外は誰も稲垣議員の発言の問題を指摘しなかった。

 このようなことが気になっていた矢先、稲垣議員と同じく市長会派で副会長の奥山議員が、同じ特別委員会での福山病院長の発言を問題視しているとの情報が昨日複数の筋から入ってきました。当日のブログで、いわば最後通牒として紹介した発言を対象にしているようです。傍聴した市民からは、切実で責任感のある発言で感動したという声を聞きました。それを今さら奥山議員が問題にすることが理解できない。

 もし問題があるとするなら、稲垣議員の場合と同じく、市長の責任を責任のない者に押し付けようとする発言。いや、いずれの場合も責任のない者どころか犠牲者に責を負わそうという発言。これももとをただせば、コミュニケーション不足に原因の一端がある。言うまでもなく、市組織内のコミュニケーションを制動する責任は、市長と副市長にあります。

 市の職員も組織も市長の私物ではない。壊されれば、被害を被るのは市民。このような状態に陥った場合それを立て直す役割は議会。しかし、議会がこの状況となっては、というところで今日は終わらざるを得ません。

 山の向こうに希望・春といった思いを感じさせる今日の空の写真を添えておきます。